ほんの僅かだが、空き時間があったので、
大阪市内の谷町4丁目から法円坂に向けて歩いてみた。
地下鉄谷間4丁目を地上に上がったところ、
谷町筋と中央大通りの交差点を起点として、
中央大通りの南側を、東向きに進む。
5分もしないうちに、国立病院機構大阪医療センター(旧国立大阪病院)が、右手に。
そしてそのあたりからは、
中央大通りを挟んだ北側に大阪歴史博物館を見ることができる。
大阪歴史博物館はまた別の日にでも、じっくりと巡ることにしよう。
ほどなく、法円坂の交差点。ここからは大阪城を近くに臨むことができる。
この法円坂の名の由来は、慈願寺の住職法円から来ているらしい。
といっても、法円という住職がどういう人物だったのかは、私にはまったく知識がない。

この法円坂の交差点の東南角が難波宮跡公園。大化の改新以降の約150年間において、首都であり、副首都であった難波宮の跡地であり、国の史跡指定されている。インターネットなどで調べてみると、大化の改新のあった大化1年に難波宮に都を遷したとのことだ。
その後、近江大津京、藤原京、平城京、長岡京と遷都がある中で、副首都として難波宮はあったらしい。奈良の大仏を建立した聖武天皇が後期難波宮を造営したらしい。
さて、法円坂の交差点を右折し、上町筋を南向きに進路をとってみる。
国立病院機構大阪医療センターを右手に。難波宮跡公園を左手に見ながら。

5分も歩くと上町の交差点。ここに、大きな碑が建っている。
碑に彫られている文字を読んでみよう。
「兵部大輔 大村益次郎卿殉難報國之碑」
大村益次郎
が暗殺者の手にかかったのは、この付近だったのか。
あれ、でも京都ではなかったかしら???
このことは改めて調べてみよう。
司馬遼太郎
の「花神」を読んで以来、歴史上の人物の中でも好きな一人である。
この碑の周りに、碑建立の発起人の名前がすらりと彫られている。
松下幸之助
(松下電器)、
野村徳七
(野村証券)久保田櫂四郎(久保田鉄工)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)、
鳥井信治郎
(サントリー)、
といった経営者たちの名前が・・・。