時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


◆「ゆかりの地」・・・「歴史上の人物」」「映画スター」など著名人ゆかりの地の「所在・交通アクセス」を。※「都道府県で選ぶ」ことも出来ます。
◆「ゆかりの食」・・・歴史上の人物や著名人が好んだとされる食べ物を。
◆コラム・・・「思いの外」「旅・美味いモン」「本・心に残る言葉」他

2010年03月03日

桂小五郎(木戸孝允)ゆかりの地

◆長州藩邸 (京都市中京区河原町御池)京阪三条徒歩5分。阪急河原町徒歩15分。
その地には現在は京都ホテルが立っており、桂小五郎の像が立っています。
桂小五郎像 長州藩邸.jpg
◆幾松。桂小五郎が愛人幾松とすんでいたところ。新選組が乗り込んできた際、幾松が気丈な対応をして桂小五郎を匿って逃がした話は有名。京都ホテル木屋町はさんで向い。
幾松.jpg
◆三条大橋の下(現在の二条大橋)。禁門の変(蛤御門の変)で敗走する時期、京都市乞食の姿に身を変え潜伏。
◆兵庫県出石町。(京 脱出後の潜伏先) 現在出石そばや「本家よしむら」の箇所が、潜伏時の住居跡。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに木戸孝允(桂小五郎)の墓があります。妻、幾松の墓とならんでいます。他に坂本龍馬、中岡慎太郎、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分
◆翠紅館跡 <京都市東山区高台寺南門通り>
京都連山護国神社へと向かう「維新の道」の途中にある。
土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞、桂小五郎、久留米藩の真木和泉ら、各藩の代表者らが、攘夷の具体的方法を検討した世に「翠紅館会議」と呼ばれた会合が行われた場所。すぐそばに高台寺。現在は老舗料亭「京大和


翠紅館.jpg



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あなたが好きな歴史上の人物は。
そのゆかりの地を巡るのもいいものです。
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2006年03月24日

京都御所・蛤御門

御所を久しぶりに歩いた。
別の用事があったのでわずかな時間であったが、御所内の梅林も花をつけ、子供たちは野球などに熱中し、そうした様子などをみていると

「春だなあ。」という実感が湧いてくる。
程なく、蛤御門のところまで来た。蛤御門の変(禁門の変)と呼ばれる薩摩・会津の連合軍と長州との激戦に思いを巡らす。
天皇を長州陣営に取り込みたい長州内の積極派の来島又兵衛や久坂玄瑞ら主導での戦いであったが、この戦いで薩摩・会津の連合軍に敗れて、長州藩がどんどん追われていくことになるのだなあ。と。
このあと、桂小五郎は乞食に姿を変え潜伏し、三条の橋の下まで幾松に食事を運んでもらいながら生き延び、出石まで逃れて行く。

蛤御門の柱、梁には、当時の弾傷なども残っている。維新のドラマが心を過ぎる場所の一つであろう。
蛤御門.jpg

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2006年03月17日

織田信長ゆかりの地

◆安土城址(滋賀県蒲生郡安土町:周辺地図) JR東海道本線(JR琵琶湖線)「安土駅」徒歩20分
次も必ず訪れよう⇒滋賀県立安土城考古博物館安土城天守信長の城、安土城城郭資料館
◆本能寺址。「本能寺の変」当時の場所。現在は養護老人ホームが建っており、本能寺の歴史を紹介した石碑と、「此付近本能寺址」標記の石柱がある。(京都市中京区元本能寺南町:周辺地図) 阪急烏丸駅 京都地下鉄四条駅徒歩10分。阪急大宮駅徒歩8分。
寺石碑.jpg続きを読む
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2006年03月13日

さよなら 亀山社中

残念なニュースがあります。
あの「亀山社中跡」が今週の土曜日3月18日で閉館することになったそうです。
亀山社中は、幕末期の1865年に日本発の貿易会社として、坂本龍馬らが設立し、倒幕活動や貿易、軍艦、銃器の購入斡旋(あっせん)をする拠点でした。そして後の海援隊へと・・・。
最後の日の3月18日(土)午前10時〜午後3時まで一般公開かれるとのことです。
本当に残念です。


坂本龍馬ゆかりの地
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坂本龍馬ゆかりの地

坂本龍馬生誕地の碑 (高知県高知市上町1-7-34:周辺地図)現在は上町病院となっている。
◆千葉道場。(江戸 神田 お玉が池 桶町)現在は地番が無いようで、東京駅南口の八重洲ブックセンターの北側あたり、鍛冶橋と日本橋の間、京橋のすぐ北側エリアらしい。(周辺地図
参考ホームページ:www.peanuts.gr.jp/~smitimko/Ryoma/
◆寺田屋。(京都市伏見区南浜町263:周辺地図)京阪電鉄「中書島」徒歩5分。京阪電鉄「伏見桃山」徒歩10分。近鉄「桃山御陵前」徒歩10分
→サイト内関連記事あり<京都・伏見桃山界隈を歩く>

洛て寺田屋.jpg
◆近江屋跡。(京都市中京区河原町通蛸薬師下る京阪交通社前:周辺地図)坂本龍馬・
中岡慎太郎遭難之地と彫られた古い石柱がある。阪急河原町駅より徒歩スグ。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに龍馬の墓があります。他に中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分。
→サイト内に関連記事あり<維新の志士達の眠る地(京都霊山護国神社>
◆神戸海軍操練所(神戸市中央区新港町:周辺地図)。三宮駅より徒歩10分。日本に欧米に対抗できる海軍をつくる足がかりを作ろうと、勝海舟が1863年(文久3年)に提案し設立。海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねた。 坂本龍馬、陸奥宗光などが運営に携わるとともに、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残す。現在は、錨(いかり)の形をした記念碑が建っています。
◆亀山社中跡。(長崎市伊良林2丁目:周辺地図)。当時のままの建物の中には、資料展示などもあるようです。この亀山社中が海援隊の中心となり、明治政府発足以降は、政府により岩崎弥太郎に譲り渡す形で三菱商事の前身となっています。(※残念ながら2006年3月18日に閉館となります。)
グラバー邸。長崎県長崎市南山手。文久3年(1863)に建てられた日本で最も古い木造洋風建築物。江戸末期、長州藩は幕府から睨まれ、武器を購入が不可能だったため龍馬が亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新式のエミュー銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入した。この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となる。
◆塩浸温泉 (鹿児島県姶良郡牧園町宿窪田:周辺地図) 日本で一番最初に新婚旅行をした人しても知られる龍馬が、妻のおりょうとともに訪れた温泉。龍馬とおりょうの銅像が建っている。
◆霧島 新婚旅行の地。

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2006年02月24日

新選組ゆかりの地

八木邸(京都市中京区壬生椰ノ宮町24:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。近藤勇らが壬生浪士組として結成後より、西本願寺に移るまで使用。
旧前川邸(京都市中京区壬生賀陽御所町49:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。八木邸とともに京都壬生屯所となった。近藤勇、沖田総司、土方歳三ら試衛館一派が宿泊。
前川邸.jpg
◆壬生寺
近藤勇胸像.jpg
◆西本願寺屯所跡(京都市下京区堀川通花屋町下る:周辺地図西本願寺太鼓楼付近。JR京都駅より徒歩10分。1865年、壬生屯所が手狭になった後、使用。
※なお現在は姫路市の亀山本徳寺(兵庫県姫路市亀山324:周辺地図)に移設されています。山陽電鉄亀山駅下車スグ
◆不動堂村屯所跡(京都市下京区)JR京都駅より徒歩5分。現在はリーガロイヤルホテルが建つ。1867年、西本願寺から移転後、新選組最後の屯所。以下は、その地にある碑。近藤勇の歌が刻まれている。
(「事あらば われも都の村人となりて やすめん皇御心 / 近藤勇」)
リーガロイヤル近藤勇.jpg
下の画像はリーガロイヤルの道路を挟んで建つAPAホテルの裏手の道祖神社のもの(幻の屯所)まぼろしの屯所.jpg







当サイト管理人による関連サイト
万次郎会ピース君の・・・脱出!不快・・・はいチーズ舌鼓
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2006年02月17日

法円坂から上町を歩く

ほんの僅かだが、空き時間があったので、
大阪市内の谷町4丁目から法円坂に向けて歩いてみた。
地下鉄谷間4丁目を地上に上がったところ、
谷町筋と中央大通りの交差点を起点として、
中央大通りの南側を、東向きに進む。
5分もしないうちに、国立病院機構大阪医療センター(旧国立大阪病院)が、右手に。
そしてそのあたりからは、
中央大通りを挟んだ北側に大阪歴史博物館を見ることができる。
大阪歴史博物館はまた別の日にでも、じっくりと巡ることにしよう。
ほどなく、法円坂の交差点。ここからは大阪城を近くに臨むことができる。
この法円坂の名の由来は、慈願寺の住職法円から来ているらしい。
といっても、法円という住職がどういう人物だったのかは、私にはまったく知識がない。

難波宮碑.jpg

この法円坂の交差点の東南角が難波宮跡公園。大化の改新以降の約150年間において、首都であり、副首都であった難波宮の跡地であり、国の史跡指定されている。インターネットなどで調べてみると、大化の改新のあった大化1年に難波宮に都を遷したとのことだ。
その後、近江大津京、藤原京、平城京、長岡京と遷都がある中で、副首都として難波宮はあったらしい。奈良の大仏を建立した聖武天皇が後期難波宮を造営したらしい。

さて、法円坂の交差点を右折し、上町筋を南向きに進路をとってみる。
国立病院機構大阪医療センターを右手に。難波宮跡公園を左手に見ながら。

大村益次郎 レリーフ.jpg

5分も歩くと上町の交差点。ここに、大きな碑が建っている。
碑に彫られている文字を読んでみよう。

「兵部大輔 大村益次郎卿殉難報國之碑」

大村益次郎が暗殺者の手にかかったのは、この付近だったのか。
あれ、でも京都ではなかったかしら???
このことは改めて調べてみよう。
司馬遼太郎の「花神」を読んで以来、歴史上の人物の中でも好きな一人である。
この碑の周りに、碑建立の発起人の名前がすらりと彫られている。
松下幸之助(松下電器)、野村徳七(野村証券)久保田櫂四郎(久保田鉄工)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)、鳥井信治郎(サントリー)、
といった経営者たちの名前が・・・。






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大村益次郎ゆかりの地

◆大村益次郎寓居跡(大阪市西区江戸堀2丁目) 地下鉄四ツ橋線肥後橋徒歩5分
現在は江戸堀フコク生命ビルが建っているが、そのビルの前に石柱が建っている(写真)石柱脇に説明書には下記のように記されている。

「大村益次郎寓居跡。大村益次郎は、儒学、蘭学、医学、西洋兵学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。嘉永二年(1849年)から、この地の倉敷屋作衛門の座敷に住みながら、緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。」
image/yukarinochi-2004-11-16T18:55:17-1.jpg

◆大村益次郎遭難之碑(京都市中京区木屋町)
桂小五郎の寓居であった幾松を背にした高瀬川べりにあります。その隣にある碑は佐久間象山遭難之碑です。



◆兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑(大阪市中央区法円坂2丁目) 地下鉄谷町線「谷町四丁目」「谷町六丁目」のいずれかの駅より徒歩5分。京都で襲われ、十分な治療ができない京都から、大阪に移送されたが、治療の甲斐なく死亡した。

◆適塾(大阪市中央区北浜3丁目)地下鉄・京阪「淀屋橋駅」すぐ
この塾で、緒方洪庵に師事する。

◆靖国神社(東京都千代田区九段北3丁目) 周辺地図
大村益次郎の発案で建てられた東京招魂社が靖国神社の前身。大村益次郎の銅像あり。

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2005年12月27日

中岡慎太郎ゆかりの地

◆生家。(高知県安芸郡北川村柏木140:周辺地図
参考ホームページ:北川村観光ページ
◆近江屋跡。(京都市中京区河原町通蛸薬師下る京阪交通社前:周辺地図)坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地と彫られた古い石柱がある。阪急電車 河原町駅より徒歩数分。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに中岡慎太郎の墓があります。坂本龍馬の墓の隣にあります。他に桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分




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2005年12月26日

源義経ゆかりの地

◆牛若(京都市北区紫竹付近:周辺地図)。牛若丸(源義経)が幼少期を過ごした地の地名。牛若丸誕生の井戸や母親である常盤御前の名残がのこるものも点在している。大徳寺からも近いので、大徳寺を観光のついでに足を伸ばすには丁度良かもしれない。
◆鞍馬寺(京都市左京区鞍馬本町:周辺地図) 叡山電鉄鞍馬線「鞍馬」。叡山電鉄には京阪電車「出町柳」で乗り換え。
参考ホームページ:www.hi-ho.ne.jp/kyoto/yositune.html
◆貴船神社 (京都市左京区鞍馬貴船町:周辺地図)叡山電鉄「貴船口」にて京都バス貴船行に乗り換え「貴船」で下車。
牛若丸が打倒平家の祈願成就のために参詣したと言われている。
貴船神社の公式サイト
◆源義経宿泊の館「白木屋」跡 (滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡:
周辺地図
◆五条大橋。弁慶と戦ったことで有名。当時の五条大橋は現在よりもっと北側、今の松原橋のところにあったらしい。周辺地図 京阪電車「五条」より徒歩すぐ。
◆神泉苑 (京都市中京区門前町:周辺地図) 地下鉄東西線「二条城前」徒歩スグ。
義経と静御前が出会った地。
◆宇治川先陣の碑 (京都府宇治市宇治:周辺地図)宇治川の中洲である橘島内に京阪電車宇治線「宇治」徒歩5分 JR奈良線「宇治」徒歩5分宇治川の中洲である橘島内に宇治川の中洲である橘島内に、義経の初陣となった宇治川の戦いの碑「宇治川先陣の碑」が建っている。
◆一の谷合戦古戦場 山陽電車「須磨浦公園」徒歩3分
◆鉄拐山 (兵庫県神戸市須磨区西須磨:周辺地図
「一の谷の合戦・鵯越の逆(坂)落とし」の場所との説がある山。この山の東南斜面であったとする説(一の谷説)が残っています。
◆鵯越 (神戸市北区:周辺地図
「一の谷の合戦・鵯越の逆(坂)落とし」の場所との説がある場。(鵯越説)
◆須磨寺(須磨寺公式サイト
(神戸市須磨区須磨寺町:周辺地図) 山陽電車「須磨寺」徒歩5分
一の谷の合戦後、義経が平敦盛の首を確認した時に腰掛けたと伝えられる「義経腰掛松」があり。
◆八軒家船着場の跡 (大阪市中央区天満橋京町:周辺地図)京阪電車「天満橋」徒歩スグ。駅南側の永田屋昆布本店付近 この付近は古来より、交通の要所であり、「渡辺の津」と呼ばれた。ここから、義経軍150騎が、暴風の中、屋島の平家軍を攻めるため船を出したと言われている。現在、「八軒家船着場の跡」の碑が建っている。 
◆壇ノ浦(源氏・平氏の最後の戦いの場)
赤間神宮の水天門より望むことができます。赤間神宮には、この合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳天皇が祀られています。(山口県下関市阿弥陀寺町4-1:
周辺地図 自動車:中国道下関ICより火の山方面へ約10分 電車:JR下関駅東口よりバス10分で、バス亭「赤間神宮」からすぐ)
「源平合戦図」や「平家物語 流布本」などの貴重な資料が展示。
◆安宅関(あたかのせき)。安宅ビューテラスに安宅関跡の石碑あり。(石川県小松市安宅町ヨ132:周辺地図  北陸道小松ICより安宅の関方面へ5分)
源頼朝に追われた義経がこの関を通る際、関守の富樫の厳しい尋問にあう。この危機をのりきるため弁慶が主君である義経を叩きつける姿に感動した富樫が通行を許可したとされる。この様子を題材にしたのが歌舞伎の人気演目「勧進帳」

「義経」に関する出版物・映像作品



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