時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


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2005年04月20日

中国の人に読んで欲しい本。

古今東西、歴史というものは、その時々に権力についている側の人間にとって都合のよい解釈で次世代に引き継がれていく。今、中国で起こっている反日デモ。天安門事件後、江沢民前国家主席が進めた反日教育が影響しているという。そのためか、反日デモに参加した世代は25歳以下が大部分で、反日教育を受けた世代だ。そういう25歳以下の中国国民にぜひ読んで頂きたい本がある。毛沢東の文化大革命の時代、紅衛兵も経験したことのある、ユン・チアン氏の書いた「ワイルド・スワン」だ。この本は、民の目を通してみた文革時代のノンフィクションだ。発売当初 全世界で大ベストセラーとなった。権力者側からだけの情報を鵜呑みにするのではなく、多元的に物事を見て、それで自己基準を確立して判断して欲しい。そういう思いでいっぱいだ。ただ、この本は中国では発売されているのだろうか?


なお、この本は私自身にとっても大のお勧めの本であり、無論、日本人にも読んで欲しい。以前にも当サイトで紹介したことがある。その内容は以下を参照されたい。
ワイルド・スワン


ワイルド・スワン〈上〉
ユン チアン Jung Chang 土屋 京子

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2005年04月11日

大坂城落城物語

真田十勇士の一人、
霧隠才蔵を主人公とする時代小説「風神の門」(司馬遼太郎)を久しぶりに読み返した。やはり面白い。司馬作品はみな大体面白いが、その中でも上のほうではないか?と私は思っている。その「風神の門」の中に、徳川家康が実は城攻めが苦手な武将であったと紹介されている。かたや、豊臣秀吉は城攻めの名人であった。美濃攻略の際の稲葉城孤立攻め。鳥取城兵糧攻め。備中高松城の水攻め。美濃竹鼻城水攻め。紀伊太田城水攻め。
小田原城の大軍包囲など。
その城攻めが苦手な家康が、城攻めが得意であった秀吉が守る側にに立って金に糸目をつけずに完成させた大坂城をどう攻略するのか?後世の人間である我々は史実を知っている。大坂冬の陣の講和条件として堀を埋めたということを。「週刊日本の伝説を旅する9号」にある大坂城落城物語(土橋治重)を読むと家康が堀を埋めるというアイデアを得たのが豊臣秀吉、当の本人の独り言からであったとする伝説が紹介されている。土橋治重氏の書くこのくだりは非常に面白い。
本当に、その独り言から、当時の『オランダ東印度会社遺日使節記』(『モンタヌスの日本記』)に美しさ威容ともに比類がないと記述された大坂城が陥落してしまったとするならば、本当に皮肉なことである。


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2005年04月06日

人魚の森

人魚と聞いてイメージするのは、人によってそれぞれ違うだろう。
アンデルセン童話の人魚姫を思い浮かべる人もいれば、アンデルセンの母国デンマークの首都コペンハーゲンにある人魚姫の像を思い浮かべる人も、いるだろう。
結末がハッピーエンドのディズニーリトル・マーメイドだろうか?
私には高橋留美子(「うる星やつら」「めぞん一刻」などの原作者)の「人魚の森」が印象深い。とはいっても、ストーリーの詳細は覚えていない。作品の持つ雰囲気というか印象が体感として残っているのだ。人魚の肉を食べ不老不死に・・・。というテーマがベースとしてあり、それに基づく物語なのだが、機会があれば、読んでみていただきたい。「るーみっくわーるど」というシリーズの中にある。
八百比丘尼伝説というのがある。おそらく、この伝説が高橋留美子の「人魚の森」のコンセプト設計にヒントを与えたに違いない。人魚の肉を口にして、八百歳まで生きたという比丘尼の伝説だ。他の者がだんだん歳をとって死んでいくのに、自分だけが若さをたもったまま生き続ける。知る人がどんどん先に死んでいくその悲しみ。それがずっと続くのだ。最期には、比丘尼は自ら命を絶つために、ほこらに入り食を断った。そのほこらは福井県小浜市の空印寺にあるという。この詳細は「週刊 日本の伝説を旅する8号」 井上雪氏の書く「八百比丘尼」をご参照いただきたい。


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2005年04月04日

ジョン・レノンゆかりの地

79年にヨーコとともにお忍びで来日。
東京では、下記のようなお店に顔を出していたらしい。
◆喫茶「樹の花」(中央区銀座4−13−1)
◆喫茶「カフェ・パウリスタ」(中央区銀座8−9)
◆喫茶「ミカド珈琲店 日本橋本店」(中央区日本橋室町1−6−7)によっていたらしい。
◆レノン自身がこよなく愛したという白山眼鏡店(台東区上野4−6−9)ではメイファというモデルを購入。死ぬときもこの眼鏡をかけていたことはファンのあいだでは有名。因みに他にも多くの有名人がこの白山眼鏡店のモデルを愛用している。テイトウワ、小西康陽、天野ひろゆき(キャイーン)、サエキけんぞう等々。

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2005年04月02日

神戸海軍操練所跡由来

所要で神戸に出向いた折に偶然 海軍操練所跡を見つけた。その碑文をそのまま書き写したのが以下です。


神戸海軍操練所跡由来

万延元年(1860年)1月 幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟咸臨丸(300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいながら、一行の護衛と海洋技術修得の大任を果たしたのである。これ、日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。
文久3年(1863年)4月 攘夷の世論 ようやく急を告げ 徳川家茂は摂海防備のため 阪神海岸を巡視した。当時 海舟は軍艦奉行並の職にあって これに随行し、神戸が天然の良港であり 国防の要港であることを力説した。かくて ここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
この海軍操練所は、兵学校、機関学校、海軍工廠を総合した観があり、大規模な組織であった。勝海舟はここに天下の人材を集め 日本海軍の礎を築き 海外発展の基地をつくろうとした。その高風を仰ぎ来り学ぶ俊英二百の多きを教え 坂本龍馬 陸奥宗光 伊東祐亨など幾多有為の人材が輩出したのである。
元治元年(1864年) 海舟は禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加したため 激徒養成の嫌疑を被って解職され、操練所もまた翌慶応元年(1865年)3月 ついに閉鎖されるを止むなきに至ったのである。
当時はこの「記念の錨」から東へ長くひろがり 南は京橋詰から税関本庁舎を望むあたりの長方形の入堀約一万坪の一帯が海軍操練所であった。
惜しくも現在では阪神高速道路の下に埋めたてられて、当時の盛観をしのぶ由もない。
今はただ 遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の碑文を仰ぐことができるのがせめてもの救いである。
ここに当時を偲び郷土を愛する人々に、この記念の碑を捧げる。

昭和四十三年十月建之
兵庫県知事 金井元彦
神戸市長 原口忠次郎
神戸商工会議所会頭 浅田長平
寄贈 洲崎喜夫 小野米吉


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