時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


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2006年02月24日

新選組ゆかりの地

八木邸(京都市中京区壬生椰ノ宮町24:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。近藤勇らが壬生浪士組として結成後より、西本願寺に移るまで使用。
旧前川邸(京都市中京区壬生賀陽御所町49:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。八木邸とともに京都壬生屯所となった。近藤勇、沖田総司、土方歳三ら試衛館一派が宿泊。
前川邸.jpg
◆壬生寺
近藤勇胸像.jpg
◆西本願寺屯所跡(京都市下京区堀川通花屋町下る:周辺地図西本願寺太鼓楼付近。JR京都駅より徒歩10分。1865年、壬生屯所が手狭になった後、使用。
※なお現在は姫路市の亀山本徳寺(兵庫県姫路市亀山324:周辺地図)に移設されています。山陽電鉄亀山駅下車スグ
◆不動堂村屯所跡(京都市下京区)JR京都駅より徒歩5分。現在はリーガロイヤルホテルが建つ。1867年、西本願寺から移転後、新選組最後の屯所。以下は、その地にある碑。近藤勇の歌が刻まれている。
(「事あらば われも都の村人となりて やすめん皇御心 / 近藤勇」)
リーガロイヤル近藤勇.jpg
下の画像はリーガロイヤルの道路を挟んで建つAPAホテルの裏手の道祖神社のもの(幻の屯所)まぼろしの屯所.jpg







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万次郎会ピース君の・・・脱出!不快・・・はいチーズ舌鼓
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posted by habo at 11:11| ▼ゆかりの地(歴史上の人物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年02月17日

法円坂から上町を歩く

ほんの僅かだが、空き時間があったので、
大阪市内の谷町4丁目から法円坂に向けて歩いてみた。
地下鉄谷間4丁目を地上に上がったところ、
谷町筋と中央大通りの交差点を起点として、
中央大通りの南側を、東向きに進む。
5分もしないうちに、国立病院機構大阪医療センター(旧国立大阪病院)が、右手に。
そしてそのあたりからは、
中央大通りを挟んだ北側に大阪歴史博物館を見ることができる。
大阪歴史博物館はまた別の日にでも、じっくりと巡ることにしよう。
ほどなく、法円坂の交差点。ここからは大阪城を近くに臨むことができる。
この法円坂の名の由来は、慈願寺の住職法円から来ているらしい。
といっても、法円という住職がどういう人物だったのかは、私にはまったく知識がない。

難波宮碑.jpg

この法円坂の交差点の東南角が難波宮跡公園。大化の改新以降の約150年間において、首都であり、副首都であった難波宮の跡地であり、国の史跡指定されている。インターネットなどで調べてみると、大化の改新のあった大化1年に難波宮に都を遷したとのことだ。
その後、近江大津京、藤原京、平城京、長岡京と遷都がある中で、副首都として難波宮はあったらしい。奈良の大仏を建立した聖武天皇が後期難波宮を造営したらしい。

さて、法円坂の交差点を右折し、上町筋を南向きに進路をとってみる。
国立病院機構大阪医療センターを右手に。難波宮跡公園を左手に見ながら。

大村益次郎 レリーフ.jpg

5分も歩くと上町の交差点。ここに、大きな碑が建っている。
碑に彫られている文字を読んでみよう。

「兵部大輔 大村益次郎卿殉難報國之碑」

大村益次郎が暗殺者の手にかかったのは、この付近だったのか。
あれ、でも京都ではなかったかしら???
このことは改めて調べてみよう。
司馬遼太郎の「花神」を読んで以来、歴史上の人物の中でも好きな一人である。
この碑の周りに、碑建立の発起人の名前がすらりと彫られている。
松下幸之助(松下電器)、野村徳七(野村証券)久保田櫂四郎(久保田鉄工)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)、鳥井信治郎(サントリー)、
といった経営者たちの名前が・・・。






posted by habo at 15:04| ▼コラム(旅・美味いモン) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

大村益次郎ゆかりの地

◆大村益次郎寓居跡(大阪市西区江戸堀2丁目) 地下鉄四ツ橋線肥後橋徒歩5分
現在は江戸堀フコク生命ビルが建っているが、そのビルの前に石柱が建っている(写真)石柱脇に説明書には下記のように記されている。

「大村益次郎寓居跡。大村益次郎は、儒学、蘭学、医学、西洋兵学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。嘉永二年(1849年)から、この地の倉敷屋作衛門の座敷に住みながら、緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。」
image/yukarinochi-2004-11-16T18:55:17-1.jpg

◆大村益次郎遭難之碑(京都市中京区木屋町)
桂小五郎の寓居であった幾松を背にした高瀬川べりにあります。その隣にある碑は佐久間象山遭難之碑です。



◆兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑(大阪市中央区法円坂2丁目) 地下鉄谷町線「谷町四丁目」「谷町六丁目」のいずれかの駅より徒歩5分。京都で襲われ、十分な治療ができない京都から、大阪に移送されたが、治療の甲斐なく死亡した。

◆適塾(大阪市中央区北浜3丁目)地下鉄・京阪「淀屋橋駅」すぐ
この塾で、緒方洪庵に師事する。

◆靖国神社(東京都千代田区九段北3丁目) 周辺地図
大村益次郎の発案で建てられた東京招魂社が靖国神社の前身。大村益次郎の銅像あり。

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あなたが好きな歴史上の人物は。
そのゆかりの地を巡るのもいいものです。
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posted by habo at 09:54| ▼ゆかりの地(歴史上の人物) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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