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2005年04月02日

神戸海軍操練所跡由来

所要で神戸に出向いた折に偶然 海軍操練所跡を見つけた。その碑文をそのまま書き写したのが以下です。


神戸海軍操練所跡由来

万延元年(1860年)1月 幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟咸臨丸(300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいながら、一行の護衛と海洋技術修得の大任を果たしたのである。これ、日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。
文久3年(1863年)4月 攘夷の世論 ようやく急を告げ 徳川家茂は摂海防備のため 阪神海岸を巡視した。当時 海舟は軍艦奉行並の職にあって これに随行し、神戸が天然の良港であり 国防の要港であることを力説した。かくて ここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
この海軍操練所は、兵学校、機関学校、海軍工廠を総合した観があり、大規模な組織であった。勝海舟はここに天下の人材を集め 日本海軍の礎を築き 海外発展の基地をつくろうとした。その高風を仰ぎ来り学ぶ俊英二百の多きを教え 坂本龍馬 陸奥宗光 伊東祐亨など幾多有為の人材が輩出したのである。
元治元年(1864年) 海舟は禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加したため 激徒養成の嫌疑を被って解職され、操練所もまた翌慶応元年(1865年)3月 ついに閉鎖されるを止むなきに至ったのである。
当時はこの「記念の錨」から東へ長くひろがり 南は京橋詰から税関本庁舎を望むあたりの長方形の入堀約一万坪の一帯が海軍操練所であった。
惜しくも現在では阪神高速道路の下に埋めたてられて、当時の盛観をしのぶ由もない。
今はただ 遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の碑文を仰ぐことができるのがせめてもの救いである。
ここに当時を偲び郷土を愛する人々に、この記念の碑を捧げる。

昭和四十三年十月建之
兵庫県知事 金井元彦
神戸市長 原口忠次郎
神戸商工会議所会頭 浅田長平
寄贈 洲崎喜夫 小野米吉


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あなたが好きな歴史上の人物は。
そのゆかりの地を巡るのもいいものです。
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posted by habo at 23:03| ▼コラム(思いの外) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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