時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


◆「ゆかりの地」・・・「歴史上の人物」」「映画スター」など著名人ゆかりの地の「所在・交通アクセス」を。※「都道府県で選ぶ」ことも出来ます。
◆「ゆかりの食」・・・歴史上の人物や著名人が好んだとされる食べ物を。
◆コラム・・・「思いの外」「旅・美味いモン」「本・心に残る言葉」他

2006年03月24日

京都御所・蛤御門

御所を久しぶりに歩いた。
別の用事があったのでわずかな時間であったが、御所内の梅林も花をつけ、子供たちは野球などに熱中し、そうした様子などをみていると

「春だなあ。」という実感が湧いてくる。
程なく、蛤御門のところまで来た。蛤御門の変(禁門の変)と呼ばれる薩摩・会津の連合軍と長州との激戦に思いを巡らす。
天皇を長州陣営に取り込みたい長州内の積極派の来島又兵衛や久坂玄瑞ら主導での戦いであったが、この戦いで薩摩・会津の連合軍に敗れて、長州藩がどんどん追われていくことになるのだなあ。と。
このあと、桂小五郎は乞食に姿を変え潜伏し、三条の橋の下まで幾松に食事を運んでもらいながら生き延び、出石まで逃れて行く。

蛤御門の柱、梁には、当時の弾傷なども残っている。維新のドラマが心を過ぎる場所の一つであろう。
蛤御門.jpg

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2006年03月13日

さよなら 亀山社中

残念なニュースがあります。
あの「亀山社中跡」が今週の土曜日3月18日で閉館することになったそうです。
亀山社中は、幕末期の1865年に日本発の貿易会社として、坂本龍馬らが設立し、倒幕活動や貿易、軍艦、銃器の購入斡旋(あっせん)をする拠点でした。そして後の海援隊へと・・・。
最後の日の3月18日(土)午前10時〜午後3時まで一般公開かれるとのことです。
本当に残念です。


坂本龍馬ゆかりの地
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2005年09月12日

「酒を酌み交わしたい歴史上の人物は?」

アサヒビールが全国の成人男女を対象にこんなインターネット調査したらしい。

「酒を酌み交わしたい歴史上の人物は?」

その詳細は次のアサヒビールのサイトでご覧いただけるが、私のほうでも感想を書いてみたい。
アサヒビール ニュースリリース2005 0909

1位 坂本龍馬(13.1%) 
2位 織田信長(11.4%)
3位 聖徳太子(7.6%)
4位 徳川家康(5.0%)
5位 クレオパトラ(3.0%)
6位 豊臣秀吉(2.8%)
7位 紫式部(2.6%)
8位 西郷隆盛(1.8%)
9位 小野小町(1.7%)
9位 卑弥呼(1.7%) 

結果は上の通りだそうだ。「好きな歴史上の人物は?」という設問だったりすると、源義経が入ってきたりするのだろうが、ここには無い。やはり、酒を酌み交わすには「義経は若すぎる」というイメージがあったりするのだろうか?
実際に自分が酒を酌み交わすと想像すると、織田信長などは緊張しすぎてしまって飲んだ気がしないかもしれないと思ったりする。(ちなみに信長が飲んでいる酒は真っ赤なワインというイメージ。)いろいろ尋ねてみたいことは多いのだが。
そういう意味では、坂本龍馬、豊臣秀吉などならば、楽しい雰囲気で、いろんなことが聞けそうな気がする。
また、じっくり話しを聞きたい相手としては西郷隆盛。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読み、「西郷の本心はどうだったのか?」そういう思いが募った。ぜひ、「翔ぶが如く」の時期(征韓論やぶれ西南戦争に至る)の、西郷の本心というものを酒を酌み交わしながら聞いてみたいものだ。





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あなたが好きな歴史上の人物は。
そのゆかりの地を巡るのもいいものです。
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2005年08月02日

写真家:楠本弘児さん

今回は一人の写真家を紹介したい。
楠本弘児さんという写真家をご存知だろうか?「熊野」の写真家の第一人者である。熊野古道を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」は、昨年、世界遺産リストに登録されたところなので、「熊野古道」については皆さんの記憶にも馴染みがあると思う。皆さんが、熊野の写真を目にする機会があれば、(特にポスターなど公式写真で)、それは楠本弘児さんの写真である可能性は高い。
以下に、楠本弘児さんの写真集を紹介しておくが、書店などでごらんになられる機会があれば、一度手にとって、中をご覧になって見ていただきたい。
その写真にきっと、息を飲むはずだ。

WEB上でも楠本さんの作品の素晴らしさに触れることができるサイトがあったので、そちらのほうも訪ねてみられたい。

楠本弘児フォトライブラリー


熊野―万霊の山河

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2005年06月22日

ゼンリンと伊能忠敬

先週末から今週初めにかけて北九州は小倉へ出張であった。小倉の歴史スポットについては次の機会に触れることとして、今回は伊能忠敬について触れてみたい。小倉への出張していたちょうどその時期、地図業界最大手ゼンリンの前社長で最高顧問であった大迫忍氏がお亡くなりになられた。そのことを知ったのは宿泊していたホテルフロント備え付けの新聞記事。恥ずかしながら、私はこの記事に触れるまで、ゼンリンが北九州の会社であることを全く知らなかった。記事では、故大迫氏は、伊能忠敬を時代を隔てているもののご自身にとって人生の大師匠であるとされ思い入れたっぷりであったことなどにも触れられていた。伊能忠敬は地図業界に関わる人にとってはそれこそ大巨人であろう。伊能地図のその精緻さ。それは江戸期に訪れたヨーロッパ人達をも仰天させた。あのドイツ人医師シーボルトが国外退去されされたのも、伊能図の写しを持ち出そうとして捕らえれたからというから、その当時の水準からどれほど凄いものであったのか。
ただ、私は後悔していることがある。このことについて書こうと思い、出張から帰ってからインターネットなどで調べ物をしていたら、ゼンリンが伊能忠敬を取り上げた資料館をやっているという情報を見つけた。小倉駅から徒歩10分程度のショッピングビル・リバーウォークにあり、出張時は毎日行っていた場所だっただけに、返す返すも残念だ。
ゼンリン地図の資料館




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2005年06月06日

黄金の日々

私が、NHK大河ドラマを初めて初回から最終回までみたのが小学生の頃のことである。中世の堺を舞台にした「黄金の日々」という物語だ。当時、堺に住んでいたので小学校の同級生の多くが見ていたように思う。同級生たちも、僕同様、初めて大河ドラマを見たんだろうと思う。市川染五郎(現在の松本幸四郎)が主人公のルソン助左衛門、その他には、根津甚八が石川五右衛門、川谷拓三が善住坊(ぜんじゅぼう))という役どころで出ていたであろうか?川谷拓三の役は、おそらくドラマの面白さを増すために登場させて架空の人物なのかもしれない。物語は、主人公、助左衛門がルソン(フィリピン)との交易のチャンスをつかみ、自由都市・堺で豪商になっていく過程から、その堺が織田信長豊臣秀吉らにその自由都市の性格を奪われていくなかでのドラマだったという記憶がある。最後は主人公は、商売の新天地を求め、海外(ルソン)に出航したところでドラマが終わったように思うが、そのドラマで今も鮮烈なシーンがある。それは、川谷拓三扮する善住坊が豊臣秀吉(緒方拳)の命により鋸引きの刑により処刑される場面だ。
当初は庶民の仲間であった秀吉が出世とともに冷酷になり、友であった善住坊を残酷に殺してしまうというシーンは、子供心に強烈な印象を残した。
1年通して見る気力はないが、時間が取れれば、ダイジェスト版などでもう一度見てみたいものだ。
ちなみに、今現在読んでいるのは、上記と同じ時代背景の小説、堺屋太一の「豊臣秀長(ある補佐役の生涯)」。
これは良い本である。初版は十年以上も前だが、当時、ビジネス誌などでも絶賛され、結構売れていたのを覚えている。



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2005年06月03日

ストロベリー・フィールズ・フォーエバー 心の中に・・・

英国リバプールにある孤児院「ストロベリー・フイールド」が5月31日、事実上閉鎖された。ジョン・レノンの子供の時代の遊び場であったこの孤児院は、ビートルズの名曲「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」にも歌われた。こうした背景から、ビートルズのファンにとっては、ジョン・レノンゆかりの地として、聖地の一つであった。以前にこのサイトでも、閉鎖されるらしいということは書いたが、それが現実のものとなるとやはり寂しいものだ。






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2005年06月02日

カフェ・パウリスタ

ここ最近では、このサイトの記事は歴史上の人物のウェイトが大きくなっているが、以前に、日本国内におけるジョン・レノンゆかりの地の一覧をまとめたことがある。(一部にとどまるが・・・)
その中の一つが銀座の「カフェ・パウリスタ」。オノ・ヨーコとのお忍び来日の際に利用していた珈琲店である。先日、朝刊を読んでいると相当大きなスペースで、「カフェ・パウリスタ」の広告があり、それが目に飛び込んできた。それでちょっと調べてみる気になった。
これまで、ジョン・レノンのゆかりの地という意識でしか見ていなかったのだが、調べていくと、この「カフェ・パウリスタ」が日本のコーヒー文化に残した功績は大変に大きなものであったと知らされる。
話は少し飛ぶが、フランス「パリ」が花の都と呼ばれていた頃、そこでは、若きアーティストたちがカフェに集い、その交流の中でお互いを刺激し合い、感性を高め合い、今では大変評価の高い芸術作品を次々と生み出していった。日本の若い芸術家の卵たちは皆、パリに憧れ、また渡仏した者も少なくない。そうしたパリのカフェ文化に相応するものが日本に根付くのは大正二年、「カフェ・パウリスタ」が銀座にオープンするのを待たねばならなかったらしい。それまでは、コーヒー店はあったものの、まだまだ値段が高く、一般には敷居の高いものであったようだ。その様子は白樺派に関すること中心にまとめておられる白樺の小径
というサイトに詳しく触れられている。このカフェ・パウリスタには、当時の白樺派の作家たちも通ったのかもしれない。(白樺派→雑誌「白樺」で作品を発表していた作家たち。主な作家として武者小路実篤志賀直哉有島武郎倉田百三らがいる。)

(参考)
カフェ・パウリスタのホームページ
白樺の小径
■MMC珈琲のサイト「横浜珈琲物語」

(当サイト内参考記事)。
ジョン・レノンゆかりの地
コーヒーと肝癌の因果関係




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2005年05月31日

さよなら。大関貴ノ花。

二子山親方がお亡くなりになられた。大関貴ノ花としての現役時代、私は小学生になるかならないかであったが、憎らしいほどに強い横綱・北の湖をなんとかやっつけて欲しいと、こぶしを握り締めて応援していた。また、北の湖との取り組み以外では、高見山との一番が思い出深い。土俵際、貴ノ花の髷が一瞬早く土俵に触れたあの映像は、今も記憶に鮮明だ。どちらも人気力士であったので、当時子供だった自分が、貴ノ花、高見山のどちらを応援していたのかはもう忘れてしまったが、その興奮だけは覚えている。興奮の記憶を残してくれたことに感謝。そして、ご冥福をお祈りしたい。






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2005年05月18日

楠木正成について

さて、楠木正成について、ちょっと調べてみよう。グーグルなどで検索すると次のようなサイトが上位に上がってくる。

小中学生のための学習教材の部屋
フリー百科事典ウィキペディア(Wikipedia)
千早赤坂村ホームページ
ティータイムは歴史話で
楠木正成をおっかける

なお、次のサイト「SYOGUN TAKAUJI(珍説:楠木正成)」は歴史を違った角度から見たいという方には結構面白い。
SYOGUN TAKAUJI(珍説:楠木正成)

これらサイトを見ていくと楠木正成の人物像が浮かび上がってくる。鎌倉時代末期、後醍醐天皇側の武将として千早城に立てこもり、鎌倉幕府軍と戦う。そして、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇による建武の新政が始まるが、ほどなく足利尊氏が離脱すると、この際も後醍醐天皇側に立ち、足利尊氏と戦い、湊川の戦い(神戸市)で戦死。南北朝時代、南朝側の立場にたって書かれた「太平記」で、常に天皇の側に立つ忠臣として描かれる。こうした天皇の忠臣としての評価が後の、徳川光圀の「大日本史」編纂事業に際し、さらに再評価され。それが水戸学へと続き幕末・明治維新までとつながってきたのかと考えると歴史のつながりというものを実感せずにはいられない。




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2005年05月16日

素通りした地に思う

ここしばらく仕事で忙しくしていたため、本サイトの更新がおろそかになってしまった。仕事では、車で神戸エリアから大阪北部エリアの間を走り回っていたのだが、その間、さまざまなゆかりの地のそばを素通りした。実際、時間がなく、本サイトの更新のためのネタを拾い集めることができなかったのか残念だ。義経の鵯越の場所であるとされる一の谷を素通りし、尼崎市では「近松門左衛門のゆかりの地がここに・・・」と思いながら素通りせざるを得なかった。
唯一立ち寄れたのは、神戸のほうを走り回っていたときに一休みがてら、湊川公園に。そこで楠木正成の像を仰ぎ見た。楠木正成については、これからいろいろと調べていきたいと思っている。徳川光圀(水戸黄門)の「大日本史」編纂事業による楠木正成への評価。それは、天皇が将軍の上に立つものというの立場をハッキリさせた水戸学の考え方として、幕末・維新に影響を及ぼした。今後、マイペースではあるが、このサイトで紹介できればと思っている。




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2005年04月11日

大坂城落城物語

真田十勇士の一人、
霧隠才蔵を主人公とする時代小説「風神の門」(司馬遼太郎)を久しぶりに読み返した。やはり面白い。司馬作品はみな大体面白いが、その中でも上のほうではないか?と私は思っている。その「風神の門」の中に、徳川家康が実は城攻めが苦手な武将であったと紹介されている。かたや、豊臣秀吉は城攻めの名人であった。美濃攻略の際の稲葉城孤立攻め。鳥取城兵糧攻め。備中高松城の水攻め。美濃竹鼻城水攻め。紀伊太田城水攻め。
小田原城の大軍包囲など。
その城攻めが苦手な家康が、城攻めが得意であった秀吉が守る側にに立って金に糸目をつけずに完成させた大坂城をどう攻略するのか?後世の人間である我々は史実を知っている。大坂冬の陣の講和条件として堀を埋めたということを。「週刊日本の伝説を旅する9号」にある大坂城落城物語(土橋治重)を読むと家康が堀を埋めるというアイデアを得たのが豊臣秀吉、当の本人の独り言からであったとする伝説が紹介されている。土橋治重氏の書くこのくだりは非常に面白い。
本当に、その独り言から、当時の『オランダ東印度会社遺日使節記』(『モンタヌスの日本記』)に美しさ威容ともに比類がないと記述された大坂城が陥落してしまったとするならば、本当に皮肉なことである。


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2005年04月02日

神戸海軍操練所跡由来

所要で神戸に出向いた折に偶然 海軍操練所跡を見つけた。その碑文をそのまま書き写したのが以下です。


神戸海軍操練所跡由来

万延元年(1860年)1月 幕府は遣米修好使節団を公式に派遣した。その際、勝海舟咸臨丸(300トン)の艦長として、万里の波浪とたたかいながら、一行の護衛と海洋技術修得の大任を果たしたのである。これ、日本人による最初の太平洋横断であり、わが航海史上、特筆大書すべき壮挙であった。
文久3年(1863年)4月 攘夷の世論 ようやく急を告げ 徳川家茂は摂海防備のため 阪神海岸を巡視した。当時 海舟は軍艦奉行並の職にあって これに随行し、神戸が天然の良港であり 国防の要港であることを力説した。かくて ここ小野浜の地に海軍操練所の創設をみたのである。
この海軍操練所は、兵学校、機関学校、海軍工廠を総合した観があり、大規模な組織であった。勝海舟はここに天下の人材を集め 日本海軍の礎を築き 海外発展の基地をつくろうとした。その高風を仰ぎ来り学ぶ俊英二百の多きを教え 坂本龍馬 陸奥宗光 伊東祐亨など幾多有為の人材が輩出したのである。
元治元年(1864年) 海舟は禁門の変に操練生の一部が反幕軍として参加したため 激徒養成の嫌疑を被って解職され、操練所もまた翌慶応元年(1865年)3月 ついに閉鎖されるを止むなきに至ったのである。
当時はこの「記念の錨」から東へ長くひろがり 南は京橋詰から税関本庁舎を望むあたりの長方形の入堀約一万坪の一帯が海軍操練所であった。
惜しくも現在では阪神高速道路の下に埋めたてられて、当時の盛観をしのぶ由もない。
今はただ 遠く諏訪山公園からこの地を見守る勝海舟直筆の碑文を仰ぐことができるのがせめてもの救いである。
ここに当時を偲び郷土を愛する人々に、この記念の碑を捧げる。

昭和四十三年十月建之
兵庫県知事 金井元彦
神戸市長 原口忠次郎
神戸商工会議所会頭 浅田長平
寄贈 洲崎喜夫 小野米吉


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2005年03月25日

国盗り物語は二代

司馬遼太郎の「
国盗り物語」は好きな時代小説の一つである。斎藤道三から織田信長へ、舅から婿と、二代をかけて国を盗り、天下を目指していくという物語である。
ただ先日井沢元彦氏の書かれた内容を読んで驚いた。「週刊 日本の伝説を旅する」中に連載読み物「伝説の住人」で、岐阜・大津を特集した号だ。(3月31日発行)
この中で井沢氏が学問界では常識となっている事実を紹介してくれている。それは上記「国盗り物語」を愛読している私にとっては驚愕的な事実であった。
それは、斎藤道三による美濃国の乗っ取りは、一代で成し遂げたものではないということだ。一般によく知られている道三は名前を次々と変えていたという事実。それは実は道三の父によるものであるというもので、美濃土岐家の重臣、長井氏に取り入るまでは道三のものではないということだ。
これは、井沢氏の独特の推測ではなく、岐阜県史の資料編にある六角承禎の手紙の発見により、学問界では、「一代で国を乗っ取った道三」は否定されているらしい。
井沢氏の紹介してくれている内容をここでは全部紹介はできないので、興味あるかたは、「週刊 日本の伝説 6号 岐阜・大津特集」を読んでみていただきたい。


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2005年03月15日

目標を持てるか。

時折、このサイトの管理人である私の関心事により、当サイトの内容と離れることを書くことがあるがお許しいただきたい。アメリカの家庭教育学者ドロシー・ロー・ノルト女史の書籍が売れに売れている。この理由はもちろん、皇太子様がご自身の誕生日のご会見で紹介されたことによるものだ。皇太子さまはノルト女史の詩の次の一節を紹介された。

「批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる。」
「殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる。」
・・・略・・・
「しかし 激励をうけた子どもは自信をおぼえる。」

子どもが育つ魔法の言葉
ドロシー・ロー ノルト レイチャル ハリス Dorothy Law Nolte Rachel Harris 石井 千春

PHP研究所



最近の少年犯罪は耳を疑うものが本当に多い。その要因のひとつには、人生に目標が定まっていないがために気質が刹那的になっていることにあるのでは。と私は思っている。当人は自覚していないかもしれないが、「自分は何をしたらいいんだろう?」「何のために生まれてきたんだろう。」というような潜在意識の中にある気持ちが、短絡的思考へ向かわせがちとなり、中にはニュースで報道されるような極端な事件を起こすことにも繋がっているのかもしれない。

ドロシー女子の「激励をうけた子供は自信を覚える」という一節は、デール・カーネギー(人間関係研究の先駆者)がいう「重要感」に通ずるものだ。
(カーネギーの「人を動かす」は、あらゆる自己啓発本の原点となる本で、1936年の発表以来、全世界で1,500万部以上売り上げ、今もなお、売れ続けている。聖書に次ぐベストセラーだった時期も・・・)

人を動かす 新装版
デール カーネギー Dale Carnegie

創元社



自らを重要な人間と思えることは、人間にとって大切なことである。
そして、そう思えるためには、自信を覚えることが大切である。
自信は、目の前にある課題を乗り越えることを助けてくれる。課題を乗り越えたなら、より自信が大きくなるであろう。「自分はできるんだ。」という・・・。
また、その繰り返しは、目標を持ちその目標に対して努力をしようという意欲を育むだろう。目標を持つことができ、それに向かっている時、人間は「満たされた気持ち」を持つことができる。それは、達成したい目標を追い求める環境に身をおくことができるという充実感であろう。
また目標を達成できた時、自分はよくがんばった。自分はスゴイと思えるだろう。これは重要感に繋がるであろう。

私は子供ができる前から、「子供ができたら、『大きくなったら、何になりたい?』と問いかけてやろう。そしてそれを忘れずにいよう。」という思いを持っていた。それは、上述の流れになるが、人生に目標を持たせてやりたいという気持ちからだ。
そして、今、子供(女の子)は3歳である。もうそろそろ、そういう問いかけをし始めようと思う。もっとも、今、彼女から返ってくる答えは、テレビのキャラクターだったりするのであろうが、成長の過程で何かを見つけてくれるであろう。
とにかく、シラケるということを覚える年齢になるまえにそうしたい。ソニーの創業者、井深大氏は熱心な教育論者であり、その著書において、人生は三歳までにつくられるので、その頃の親の子供への接し方が大切であると論じておられるが、まったくそのとおりだと思う。

幼稚園では遅すぎる―人生は三歳までにつくられる!
井深 大

サンマーク出版



そして、自分は何になりたいか?どういう人間になりたいか?ということが、本当に考えられる年齢になった頃には、そういうことも真剣に語りあえたらと思っている。
村上龍氏の「13歳のハローワーク」がベストセラーになったように、すごく大事なことだと思っているし、同じような気持ちをもった親御さんも、増えてきているのでは?と思う。

13歳のハローワーク
村上 龍

幻冬舎



もうしばらく文章を続けるが、スポーツ界で活躍している人に目を向けてほしい。たとえばイチロー選手。宮里藍選手。彼らは、自分の目標が人生の早い時期でしっかりと定まっている人達だ。特にイチロー選手などは、書籍が多数出版されており、それらを読めば、目標を持った人生のすばらしさというものが、本当に実感できる。イチロー選手のファンでない人も、読んで見て共感できる部分は沢山あるだろう。

イチロー革命―日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代
ロバート ホワイティング Robert Whiting 松井 みどり

早川書房



最後に、当サイトの主旨と関連付けて締めくくりたい。古来、日本には、元服というしきたりがあった。元服式を終えると、もう一人前の大人である。源義経は15歳で元服したというし、時代や地域によっては、10歳で元服ということもあった。早く大人として扱われるがゆえに、人生の目標も早く定まっていただろう。
義経は、平家を打倒し源氏の再興させるという目的を牛若丸の名の頃から持っていたというし、織田信長もうつけと呼ばれた若かりし頃には、もう何かを持っていたのかもしれない。それが天下布武の意思表示に通じているだろう。坂本竜馬にしてもしかり、勝海舟と出会うまではそうではなかったのかもしれないが、勝海舟との出会いにより、人生の大きな目標を持てたのだろう。




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2005年03月07日

日本の伝説を旅する。鎌倉。

もう、10年以上も前のことになる。夏休み、まだ独り者だった私は、ふと思いたって鎌倉方面へ行った。京都から新幹線に乗って・・・。特に鎌倉に行きたかったわけではない。どこでもよかったのだ。もう記憶が薄れている部分はあるが、ただ、強く印象に残っているのが、鶴岡八幡宮である。夏の暑い日であったが、その境内は木々で覆われ、ひんやりと涼しく何か霊的な感じがしたものだ。
そんなことを思い出したのは、「週刊 日本の伝説を旅する」の第4号を手にとったからだ。今回の特集は鎌倉。沢史生氏の「鎌倉幕府の伝説」、井沢元彦氏の連載「伝説の住人(今回は源頼朝)」、ともに非常に面白く読めた。日本人の多くは義経への愛着が強い。一の谷、屋島、壇ノ浦での劇的な戦勝。そして、兄、頼朝に追われた悲劇性。そのひとつひとつが日本人の琴線に触れる。結果、鎌倉幕府を開いたにも関わらず源頼朝はさほどの人気はない。義経を利用し、そして必要なくなると、追った非情な人間というイメージであろうか?
「だが、頼朝こそが劇的な生涯を送った。」と井沢元彦氏は教えてくれる。井沢氏のこの文章を書き出しをそのまま抜粋させていただく。

〜歴史上実在した有名人でありながら、源頼朝ほど伝説に彩られた人物は珍しい。伝説とは極端に言えば「ホントのようなウソの話」なのだが、頼朝の生涯はまさに「ウソのようなホントの話」の連続であるからだ・・・・〜。

10年以上前、何の気なしに、何の予備知識もなしにいった鎌倉への旅ではあったが、今度行くことがあれば、頼朝はじめ、北条一族など鎌倉幕府のことを思いながら歩いてみよう。また違った感慨が得られるだろう。

当サイト内の関連記事
草燃える
静御前ゆかりの地


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2005年03月01日

発見!蜂須賀小六の甲冑 

織田信長と豊臣秀吉に仕え、徳島藩の礎を築いた戦国武将、蜂須賀正勝(小六、1526〜86)が着用したと見られる甲冑が見つかったと、刀剣・甲冑専門の美術館「中村甲刀修史館」(京都市東山区)が発表した。ナマズの尾やヒレの形を模したユニークな「変わり兜」で、同館は「戦国時代の希少な遺品」としている。

京都市内の甲冑愛好家から寄託を受けた中村達夫館長が鑑定。甲冑を納める箱の覚書に「壱番 腹巻 蜂須賀小六正勝様」と記され、蜂須賀家の子孫の名前があった。さらに、戦前まで徳島城跡内にあった正勝像の兜の形が同じだったことから、小六が着用していたと判断したという。胴は小さい鉄の板を重ね合わせて作られ、腹巻のように背中でつなぎ合わせる形式。表面は亀甲文様をあしらった動物の革で包まれており、中村館長は「甲冑の沿革史の中でも珍しいタイプ」という。(読売新聞:京都版)

甲冑に関する書籍
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2005年02月21日

NOBUNAGA 〜もう一つの顔〜

先日、テレビ大阪制作の「NOBUNAGA 〜もう一つの顔〜」という番組を見た。織田信長を、当時のヨーロッパからの視点で追ってみようという番組。主にポルトガルのリスボンを取材拠点の中心におき、ルイス・フロイスの書簡や、ポルトガル人たちが作った当時の日本地図などから、大航海時代のポルトガルの意図を推理。そして、日本側からの視点としては、脚本家・横田与志氏が、「信長はそうしたヨーロッパの列強に対抗しうる国づくりを目指していたのではないか?」との自身の考えを語るような構成であった。番組全体の案内役は女優の大塚寧々。このように、これまでとは異なる角度から物事を見ていくことは、自分自身の中にも新たな発想が生まれ非常に良いものだ。NHKの「その時歴史が動いた」などとは違い、必ずDVDなどの商品化されるわけではないだろうから、もし関心のある方は、再放送などの機会があれば、その時に録画をするなりされては如何だろうか?

※横田与志・・・脚本家。「
化粧師(KEWAISHI)」の脚色、「長七郎江戸日記」の脚本など多数の作品を手がける。

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2005年02月17日

稲むらの火について

インド洋大津波で離れ離れになった結果、何人もの家族が「自分が本当の親だ!」と名乗り上げ話題となっていた赤ちゃんが、DNA鑑定でようやく本当の両親の元に帰れることになった。このニュースを見て、昨年の数多くの自然災害(地震、洪水、台風、津波)について久しぶりに意識を向けることができた。日本で被災地から遠くの日本で生活していると、時とともにどんどん関心が薄れていく。残念なことだ。
インド洋大津波の後、日本で伝承されている「稲むらの火」がにわかに注目されたことは、皆さんもご記憶にあるだろう。江戸時代の安政南海地震で和歌山県広村の浜口梧陵(浜口儀兵衛)が、地震後の津波をいち早く察知し、村人救済のため高台に呼び上げるために、収穫した稲むらに次々と火を放ったという逸話だ。この儀兵衛の行動の結果、ほとんどの村人が「庄屋の家が火事だ!」と駆け上がり、津波からの受難を回避できたという。この話をラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が文学作品に仕上げ、ボストンやロンドンで「生ける神(A LIVING GOD)」として発表。わが国では地元和歌山の教員、中井常蔵が民話的にアレンジして教材化し、小学校教科書に採用され周知されたとのことだ。このことは稲むらの火webサイトに詳しい。
しかし、稲むらの火の逸話も、上述したように時とともに関心の外になってしまうであろう。このとおり、古くからの伝説、伝承には先人の知恵が含まれているものもある。個人的にはこのブログで伝承、伝説に触れる機会を持つことで、こういう意識を片隅にでも置いておけるようにしたいものだ。
なお余談になるが、地震予知草栽培セットというものが売れているらしい。ご関心のあるかたは、以下をのぞかれたい。

地震予知草栽培セット
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2005年02月16日

日本の伝説を旅する(太田道灌)

関西在住の私にとって、馴染みが薄いと感じる歴史上の人物の一人が太田道灌である。だが、「太田道灌がいなかったなら、今の東京は無かった。」と考えると太田道灌へ対する意識の低さは恥じ入るばかりだ。道灌の名が後世まで残ることとなった仕事の一つが江戸城築城にあるからだ。後年、徳川幕府が江戸城に入り政治の中心となって以来、東京と名が変わった今日にいたるまで、日本の中心であり続けている。現在も、江戸城跡(現在の皇居)付近には、多くの歴史の舞台となった建築物などが多く残っている。「週刊日本の伝説を旅する」第2号では、井出孫六氏が「太田道灌と山吹の里」というタイトルで、武芸一辺倒であった道灌が書歌に精通する思慮深い武将になるきっかけとなったエピソードとともに、道灌の江戸城築城の取組について詳しく紹介してくれている。北条早雲を主人公と司馬遼太郎の作品「箱根の坂」でも、道灌は思慮深くそして非常に有能な好人物として描かれている。しかし、その有能さゆえに、主君の猜疑心のために殺されてしまったが、もし、そうでなければ歴史は大きく変わっていたのかもしれない。


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