時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


◆「ゆかりの地」・・・「歴史上の人物」」「映画スター」など著名人ゆかりの地の「所在・交通アクセス」を。※「都道府県で選ぶ」ことも出来ます。
◆「ゆかりの食」・・・歴史上の人物や著名人が好んだとされる食べ物を。
◆コラム・・・「思いの外」「旅・美味いモン」「本・心に残る言葉」他

2006年02月17日

法円坂から上町を歩く

ほんの僅かだが、空き時間があったので、
大阪市内の谷町4丁目から法円坂に向けて歩いてみた。
地下鉄谷間4丁目を地上に上がったところ、
谷町筋と中央大通りの交差点を起点として、
中央大通りの南側を、東向きに進む。
5分もしないうちに、国立病院機構大阪医療センター(旧国立大阪病院)が、右手に。
そしてそのあたりからは、
中央大通りを挟んだ北側に大阪歴史博物館を見ることができる。
大阪歴史博物館はまた別の日にでも、じっくりと巡ることにしよう。
ほどなく、法円坂の交差点。ここからは大阪城を近くに臨むことができる。
この法円坂の名の由来は、慈願寺の住職法円から来ているらしい。
といっても、法円という住職がどういう人物だったのかは、私にはまったく知識がない。

難波宮碑.jpg

この法円坂の交差点の東南角が難波宮跡公園。大化の改新以降の約150年間において、首都であり、副首都であった難波宮の跡地であり、国の史跡指定されている。インターネットなどで調べてみると、大化の改新のあった大化1年に難波宮に都を遷したとのことだ。
その後、近江大津京、藤原京、平城京、長岡京と遷都がある中で、副首都として難波宮はあったらしい。奈良の大仏を建立した聖武天皇が後期難波宮を造営したらしい。

さて、法円坂の交差点を右折し、上町筋を南向きに進路をとってみる。
国立病院機構大阪医療センターを右手に。難波宮跡公園を左手に見ながら。

大村益次郎 レリーフ.jpg

5分も歩くと上町の交差点。ここに、大きな碑が建っている。
碑に彫られている文字を読んでみよう。

「兵部大輔 大村益次郎卿殉難報國之碑」

大村益次郎が暗殺者の手にかかったのは、この付近だったのか。
あれ、でも京都ではなかったかしら???
このことは改めて調べてみよう。
司馬遼太郎の「花神」を読んで以来、歴史上の人物の中でも好きな一人である。
この碑の周りに、碑建立の発起人の名前がすらりと彫られている。
松下幸之助(松下電器)、野村徳七(野村証券)久保田櫂四郎(久保田鉄工)、伊藤忠兵衛(伊藤忠商事)、鳥井信治郎(サントリー)、
といった経営者たちの名前が・・・。






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2005年12月19日

月と雪化粧:建仁寺

日本列島が各地が大雪に見舞われた昨日、京都でもうっすらと雪化粧。まだ人通りも少ない日曜日の朝の7時ごろ、祇園花見小路を散歩。建仁寺北門付近まで来たところで、西側に目をむけると建仁寺内の建物のひとつ「方丈」の屋根越しにぽっかりと浮かぶ明け方の月。

建仁寺 月.jpg





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2005年10月07日

京阪電車「淀」駅周辺を歩く

京阪電車「淀」駅と聞いて何を思い出すだろうか?まず思い出すのは京都競馬場。その次は?となるとなかなか出てこないのではないだろうか?淀駅出町柳方面ホームは淀城址と隣あわせ。城の石垣がすぐ近くに見える。淀城は二代将軍徳川秀忠が松平越中守定綱に命じて築城させた城である。秀忠・家光親子が上洛の途上にはこの城を宿所ともしたとのことだ。では、淀城址を散策してみよう。その城址には稲葉神社が建ち、淀藩主でもあった稲葉氏によるものなのだろう。稲葉氏は江戸中期ごろから廃藩までの期間、この淀城の城主であった。この地の説明書によると稲葉正成から数え5代目にこの淀藩主となったことが説明されており、稲葉家よりもむしろ、稲葉正成の後妻が有名な春日局であったことが説明されている。城址奥に進んでいくと公園になっており遊具などがあるも、ひっそりとしている。また、高台には明治天皇が行幸されたという碑も建っている。

戊辰の役 東軍西軍激戦の地(横大路千両松)
さて、この淀駅周辺は戊辰戦争の激戦の地でもあるが、駅を降り立った時点ではその名残はあまりない。だが少しあるけば、当時、この辺りがそうであったことを偲ぶ「戊辰役東軍戦死者埋骨地」彫られた碑が建てられているを見つけることができる。戊辰戦争のうちでも、「淀千両松の戦い」と呼ばれる激戦での死者を偲ぶものだ。ここでの戦いでは幕軍である新選組の井上源三郎など十数名が戦死したとのことだ。
この碑を訪ねるには、淀駅下車後、京都競馬場と京阪電車を右手に見ながら京都方面(出町柳方面)に向かって20分ほど歩くと、競馬場から京阪電車を横断する高架の下に見つけることができる。
京阪電車を左手に見て進んでしまうと、なかなか線路を横断できる箇所がないので、その点は充分気をつけなければならない。
戊辰役激戦地.jpg
(写真は、碑の脇にある案内板。天気が悪かったので碑を綺麗に撮れなかった)




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2005年09月29日

四条大宮を歩く

四条大宮を散策してみよう。四条大宮へは、阪急電車京都線「大宮駅」で下車するか、JR「京都駅」から京都市バスになる。(京都市バス路線参考)
四条大宮の交差点は、南から北へ走る大宮通りが丁度この交差点で斜めに向きを変えるため、東西を走る四条通りと交差するジャンクションが、一見 複雑なジャンクションに感じてしまう。まず、京福電車の乗り場のある西南角に渡ってみる。そこには、近隣地図、市バス乗り場の案内図があり、それを参考に、この界隈の散策ルートや、ここで散策を終えた後、どこを見るかなどをを決めると良いだろう。四条大宮にはかなり多方面へのバスが停車するので、逆に行き先に迷ってしまうかもしれない。
まず、四条大宮。上述の近隣地図で確認すると、ここが新選組のゆかりの地であることがわかる。屯所のあった数々の史蹟。壬生寺、八木邸、旧前川邸などなど。それら史蹟まで、ゆっくりとした散策でも10分はかからないだろう。
では、そこを目指そう。
四条通りに沿って西に向かっていっても、大きな幹線道路であまり風情がない。ここは、南へ一筋下がった綾小路通りを通ることにしよう。京福電車のりばの角から南に下がり、セブンイレブンの角を右折するとそこが綾小路通りだ。お寺や古くからの民家、新しくできた小さなマンションなど混然としているが、やはりここは京都だ。それなりの雰囲気はある。ほどなく、子供たちのにぎやかな声が聞こえてきた。
保育園があるのか。見ると光林保育園とある。光林寺の境内がそのまま保育園になっている。こういうところが京都らしい。ここからお寺が複数連なっている。新選組の隊士らの墓もあるようだ。
新撰組の墓.jpg
少し広めの通りを超え、旧前川邸に着いた。ここは、今も住居としてお住まいされておられるため一般公開していない。外から伺うのみである。ただし、土・日・祝日に限っては母屋の玄関にて解説付絵葉書などを販売してくれているとのことである。
この前川邸の角を左折する。そこからすぐ新選組屯所の八木邸、壬生寺で、その壬生寺に入ってみた。
芹沢鴨と平山五郎の墓、近藤勇の胸像と遺髪塔など、新選組ファンにはさまざま思いが去来するであろう。今回は、雨が降ってきたので、散策もそこそこに退散してしまった。
近藤勇胸像.jpg
ただ、四条大宮は交通の便もよく、その気になりさえすればいつでも行けるだろう。本当に身近な歴史散策のエリアである。





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2005年08月18日

夏の潜水橋(和歌山富田川)

前回、書かせていただいたとおり、熊野古道の入り口近くに住む祖母宅に夏の休暇を兼ねて行ってきた。地名でいうと和歌山県西牟婁郡上富田町というところだ。観光で行った訳ではないので、熊野古道に触れる旅ということにはならなかったが、それはそれで、リラックスできた良い時間であった。子供のころ、従兄弟とともによく泳ぎにいった富田川へも、子供をつれて川遊びに行けたのは懐かしい気分にさせてくれた。
川遊びの場所は、畑山橋という潜水橋(川の増水時にも流されないように設計された手すりの無い橋)の架かる付近で、稲葉根王子跡というところからからそう遠くない。
ただ、以前より随分、水量が少なくなっており、足首からふくらはぎのところぐらいまでしか水位がなかった。話に聞くと、ここ近年ではずっと水量が少ないようだ。そこに潜水橋が架かっているのは、時の流れを感じてしまう。
水量については、私には残念だったが、3歳の私の子供にはちょうど良かったようだ。
叔父にその話をすると、鮎川というところまで行けば、まだまだ水量もあり、今度来た時はそこまで行けばいいよ。ということであった。そこからは鮎川王子跡や住吉神社が近く、川遊びのついでの散歩ででも足を延ばせそうだ。






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2005年08月08日

帰省 〜世界遺産の入り口まで〜

お盆を迎えるこの時期、帰省される方も多いだろう。数年前と比べ、帰省の時期も分散傾向にあり、混雑は多少緩和されてきているとは言え、往復の移動は疲れるものだ。皆さんも、事故などを起こさぬよう気をつけて帰省されたい。
私のほうはと言えば、現在住んでいる京都の宇治市を出発し、両親の住んでいる大阪の堺市、そして祖母がお世話になっている叔母の家(和歌山県の西牟婁郡)という経路を辿って帰省になる。堺の両親宅には車で二時間程度ということもあり年に2〜3回は帰っているが、祖母のところとなると3年ぶりである。前回はまだ1歳にならないひ孫を始めて連れて行ったのだが、今回はその成長ぶりを喜んでくれるであろう。
祖母宅は世界遺産に認定された熊野古道の入り口にあたる中辺路町まで、車で15分程度の自然の残ったいい所である。以前の記事で熊野の写真家・楠本弘児さんについて書かせていただいたのも、この辺りが非常にいいところであるという実感を以前からもっていたために、その作品に出会い、強い感銘を受けたのだろうと思っている。
世界遺産に認定されて多少は訪れる人は増えているのだろうか?あまりに訪れる人が増えすぎるのも、遺産として残していくという観点からはどうかとは思うが、この地が長く日本の歴史を見てきたのだろうと思うと、少しでも多くの人に知ってもらいたいと思うのは矛盾してしまうことだが、仕方のないことだとご理解いただきたい。
この帰省の時に、熊野古道にまつわるエピソードなどを拾ってくることができればとは思っているが、おそらく、子供との時間、祖母との時間で手一杯であろう。
それは、またの機会にとっておこう。




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2005年06月29日

京都・伏見桃山界隈を歩く。

京都市内中心街から、少し外へ足を延ばそう。伏見。維新の名残が今も多く残る。京都駅からならば近鉄電車で「桃山御陵前」、河原町や祇園、東山エリアからならば京阪電車で「伏見桃山」を目指す。両駅の距離は100メートルほどか。そのあいだの南北に通る道を南に少し行ってみよう。右手に「魚三楼」という料理屋が見える。その魚三楼に向かってみよう。早速、そこで維新の名残に触れることができる。鳥羽伏見の戦いの折の弾痕がクッキリと残っているのだ。幕府軍と官軍がこのあたりでも激しい戦いをしたのだろう。

P504iS05891.jpg

魚三楼を後にして、京阪「伏見桃山」のほうに戻る。そのまま線路を超え、大手筋商店街へ。この商店街は新しいチェーンもあり、京都らしい雰囲気のお店もあり、それが上手くマッチしてそして活気も残っている商店街だ。地元の人の生活商店街ということに加え、やはり観光客も多いのであろう。この大手筋商店街を進み、アーケードが切れたところで左に曲がる。この左折した通りも商店街になっておおり、進んでいくといつしか「竜馬通り」と呼ばれる通りに・・・。このまま竜馬通りを進み橋の手前を右折すれば、説明不要なぐらい有名な寺田屋である。寺田屋騒動の舞台となり、そして、坂本龍馬の定宿であった寺田屋。料金400円を払うと、中を見学できる。中には坂本龍馬はじめ中岡慎太郎、龍馬の妻・おりょう、寺田屋のおかみ・お登勢の写真など数多くが展示されている。龍馬が愛用した部屋、風呂場などを見ることができる。著名人も多く訪れているようで、熱烈な龍馬ファンである武田鉄矢さんや、加賀まり子さん、里見浩太郎さんなどが写ったスナップも飾られている。なお、寺田屋は現在も宿泊営業をしているため、見学できるのは10時〜15時30分の間に限られている。(月曜定休)

P504iS05635.jpg

寺田屋を後にして、水路に沿って歩けば、風情がある景色に「日常から開放された。」という気にさせられる。水路縁の柳並木と酒蔵、そして十石船。ここは、写真撮影のスポットだ。天気のいい日は、スケッチをしている人もチラホラといる。十石船は800円で水路を遊覧できるので、時間のあるかたは乗ってみられるのもいいかもしれない。乗船時間は40分ぐらいか?(冬期除く)

P504iS05641.jpg

また、伏見は酒どころ。月桂冠、黄桜といった酒蔵が立ち並び、見学できるようになっているところもある。こういうところでお土産などを手に入れるのもいいだろう。

他にも、この界隈にはまだまだ訪れることができる場所が多数残されている。
例えば、寺田屋騒動の犠牲者が眠る大黒寺。(西郷隆盛と大久保利通が会談した部屋が残されているようだ。)
国指定の重要文化財が多数残る御香宮神社などなど。じっくりまわれば、この界隈だけでも1日充分に過ごせることができるであろう。





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2005年06月23日

小倉のお土産は?

小倉へ出張に行く前から、「明太子を買って帰ろう。」と思っていた。
「明太子買うならどこがお勧め?」と仕事で一緒になった地元の人に尋ねてみると、「辛いのがお好みなら、平塚明太子。井筒屋の小倉店地下1階で手に入りますよ。」ということだった。
出張の最終日、井筒屋により平塚明太子をゲット。帰りの新幹線に乗る前の少しの時間、明太子ちょっと少ないかな?と思い直し、他のメーカーの明太子も購入。
自宅に戻り、その日の晩、早速、両方の明太子を食べ比べ。確かに、地元の人の言うとおり。辛さが全然違う。辛い物好きならば、平塚明太子に軍配。

平塚明太子のホームページ



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小倉日記(小倉に思う)

北九州・小倉出張の仕事の合間、少しばかり町を散策した。はじめにその感想を書くと、「小倉というのは、軍事拠点の一つだったんだなあ。」というのが率直な感想だ。陸軍第12師団の名残が小倉城にいくつか残っている。(写真は小倉城内にあった砲台(レプリカ))
image/yukarinochi-2005-06-23T09:34:35-1.jpg
また、当地ゆかりの作家・森鴎外が小倉に来た理由のもそもそも、第12師団軍医部長として赴任である。森鴎外に関するスポットは小倉での鴎外の住居跡や碑など、小倉駅から散策できる範囲のところで各所あるので、ぜひ訪れてもらいたい。小倉駅の近隣案内図などにも必ず記載されているので、場所を探すことには苦労しないはずだ。
また、小倉城から少し南の公園に長崎の鐘がある。これは、昭和二十年八月九日の小倉上空は曇りであったために、原爆投下が小倉から長崎に変更された。そのため平和を願う印として、長崎から寄贈されたものであるとのことだ。太平洋戦争当時、小倉には西日本最大の兵器工場「小倉陸軍造兵廠」があった。



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2005年03月18日

鉄道で巡る伝説の地 高千穂鉄道

空に浮かぶ列車。そんな写真だ。高千穂鉄橋を渡る列車を下から見上げると。この写真は、鉄道フォトジャーナリスト櫻井寛氏が、「週刊 日本の伝説を旅する/世界文化社」で連載している記事の中で紹介している。列車が青空に吸い込まれていく。そんなイメージが浮かぶ素晴らしいフォトだ。桜井氏による紹介記事によると、この高千穂鉄道は「古事記」「日本書紀」に記される”天孫降臨”伝説の地「高千穂」へ通じている。高千穂へ向かう途上、進行方向前方右手に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が川上タケルを征伐したとの伝説が残る行縢山(むかばきやま)。そして、上述、東洋一の高千穂鉄橋上でサービスの臨時停車、眼下に岩戸川を望む。岩戸川はそこから上流へ4キロ上れば「天岩戸」。今回の桜井氏の記事はそんな伝説の地への旅を誘ってくれる。


桜井氏の作品

日本列島鉄道の旅 / 櫻井寛(編著)

鉄道ジャーナリストの第一人者である櫻井寛氏が、楽しく魅力ある鉄道の旅を歴史・文学にも触れながら綴る一冊。
北は北海道、南は沖縄まで、日本全国の鉄道路約330路線を1,400点におよぶ四季折々の美しい写真とともに紹介。寝台特急から、SL列車、トロッコ列車、路面電車やモノレールまで、バラエティー豊かな「鉄道」も多数収録。旅ガイドとしてはもちろん、鉄道資料としても活用可能。


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2005年02月25日

北海道:大自然と歴史に思う

実は私は北海道に行ったことがない。購読している週刊誌「日本の伝説を旅する」第3号が北海道の特集であった。そのなかの写真が、北海道への気持ちくすぐってくれる。よし、季節が良くなったら考えてみよう。特に、十勝平野や美瑛などで、本州にはない「広大さ」というものを実感してみたいものだ。と、ここまでは北海道の雄大な自然について触れたが、当然、「日本史」という観点から北海道を見ることも出来る。幕末期の特に京都を中心とした物語に馴染んでいると、「蝦夷地開拓」などの言葉が出てくるため、当時の北海道は、本州の人間が足を踏み入れたことのない完全な未開の地であるように思い込んでしまう。(私がそうであった。恥ずかしながら・・・)「謎の埋蔵金の話から始めてはじめてみよう。」夏堀正元氏がこのように始める読み物「武田信弘(松前藩始祖)」(週刊「日本の伝説を旅する」第3号)で、室町期もしくはもっと以前より、本州の人間がその地に入っていることに気付かされる。
北海道。行くときには雄大な大自然だけでなく、そうした歴史にもあわせて触れてきたいものだ。

2005年02月17日

コーヒーと肝癌の因果関係

毎日新聞ニュースによると厚生労働省の研究班が「コーヒー:1日1杯で肝がんリスク半減」と発表したらしい。詳細は毎日新聞の記事をご参照いただきたいが、90〜01年に全国9保健所管内の40〜69歳の男女約9万人を追跡し、コーヒーを飲む頻度や量と肝がん発生との関係を調べた結果とのことだ。当サイトでは以前に、徳川幕府最後の将軍「徳川慶喜」が欧米の公使を大坂城に招いた際、食後にコーヒーでもてなしたという記録があると紹介した(コーヒー:徳川慶喜)。コーヒーと長寿の因果関係は不明だが、当時としては長寿の76歳まで生きた。前半生は激動、後半生は趣味人としてゆったりとした余生を送ったのはよく知られた話だ。徳川慶喜に仕えた渋沢栄一も、パリ万博に派遣された幕府一行の一員であり、船上で飲んだコーヒーのことが日記に書かれている(参考:http://www.saza.co.jp/user-cgi-bin/web-shop/syougn/

2005年01月27日

ヨーロッパ映画の旅―名画ゆかりの地を訪ねて

山村謙一(著)

(AMAZONレビューより)
◆内容(「MARC」データベースより)
パリの「天井桟敷の人々」「北ホテル」、ローマの「ローマの休日」、マジョルカ島の「別れの曲」、アルザスの「大いなる幻影」…。映画をめぐるヨーロッパ旅行記を収録。

ヨーロッパ映画の旅―名画ゆかりの地を訪ねて Hot‐nonfiction
(在庫があるとは限りません。AMAZONで各自チェック下さい。)

2005年01月25日

真田幸村 最期の地

大阪市営地下鉄堺筋線「恵比須町」を降り、恵美須町の交差点を東に歩いていくこと3〜4分。左手に安居天満宮「真田幸村戦死の地」という文字が。この日は付近に仕事で来ていたため、どうしようかと思ったが、少しの時間なら・・・と思い、敷地の中へ。平日でもあり、境内には誰もおらずひっそりとしている。徳川家康でさえ恐れたといわれている真田幸村の最期の地はココだったのかと、少しばかり感慨が。そして携帯で写真をパチリ。
image/yukarinochi-2005-01-25T12:49:18-1.jpg

2005年01月14日

車折神社(くるまざきじんじゃ)

京都の四条大宮より、嵐山へ向かう路面電車(京福電鉄)に乗り、蚕ノ社、太秦、帷子ノ辻、有栖川といった京都らしい駅名を通過すると、車折神社(くるまざきじんじゃ)という駅がある。終着駅の嵐山までは、鹿王院、嵯峨駅前という2つの駅を残すのみだ。この車折神社を下車すると目の前が神社の参道である。この車折神社は芸能神社でもある。東映太秦スタジオからも路面電車で3駅と近く、ここで撮影した映画スターなどの中にも、この神社に参拝した人もいるに違いない。神社敷地内に入ると、芸能社、花柳界、歌手、タレントなど、数多くの人が奉納した朱の板を見ることが出来る。例えば、里見浩太郎、細川たかし、松平健、坂東三津五郎、中村橋之助、三田寛子、姿月あさと、杜けあき、川島なおみ、あいはら友子、夏川りみ、角松敏生、ジャニーズでは「TOKIO」(城島茂、山口達也、国分太一、松岡昌宏、長瀬智也))「嵐」(松本潤、二宮和也、大野智、櫻井翔、相葉雅紀)、マギー審司、ダンディー坂野、かつみ・さゆり、イエローキャブ・サンズ・野田義治、NHKおかあさんといっしょのお兄さん・お姉さん(はいだしょうこ、佐藤弘道、今井ゆうぞう、タリキヨコ)、南野陽子、渡部篤郎、片桐はいり、村上里佳子、中田喜子、野村克也、野村沙知代、辺見マリ、辺見えみり・・・・等々。
境内は静かで落ち着いており、独りで散策するにはちょうど良い感じである。この後、嵐山のほうへ向けて歩みをすすめていくのも良い。嵐山近くになるが、清明墓所なども訪ねることができるだろう。

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2004年12月13日

簡単なおつまみ(スモークチーズ)

ビールをデスクの脇においてブログをしている人もいると思うので、ココで簡単なおつまみを紹介。
◆材料:スモークチーズ、かつおぶし、青ねぎ
◆作り方:スモークチーズを小さくカット(小指の先の大きさぐらい)。あとは、かつおぶしと刻んだ青ねぎとを混ぜるだけ。

2004年12月02日

忘れられない景色

誰しも、これまでの旅行体験において、忘れることのできない景色というものをお持ちだろう。足摺岬。ここから太平洋を望む景色。これが私にとっての忘れられない景色だ。15年以上昔のことになるが、大学生活最後の夏、JR周遊きっぷを使い、友人とともに四国を巡った。岡山から瀬戸大橋を渡り、四国の真ん中を縦断。琴平では金毘羅さん参りの長い石段を登り、大歩危小歩危では渓谷を船で。また龍河洞では洞窟の神秘に触れ、高知につくと桂浜で坂本龍馬の像に対面。高知からは時計周りのコースを。中村まで電車、そこからはバスを乗り継ぐ。バスは途中、四万十川沿いを進み足摺岬へと。その当時、足摺岬についての事前の知識は、高知県の2つの岬のうちの左側という程度で期待感は全くなかった。それが、15年以上経過した今でも、生涯忘れ得ない景色として強く記憶に残っている。これから足摺岬を訪れる予定のある方は、是非、そこから太平洋を見渡してみて欲しい。晴れた日に。沖合いに白い波頭の帯を見ることが出来るだろう。右から左へと。黒潮だ。地球規模で流れる海流のイメージが浮かぶ。おそらくは地球の自転なども海流発生のメカニズムに影響を及ぼしているのだろう。それが悠久の時の流れを超えて、現在に至るまでも続いてきている。そして未来に向けても、それは続いていくのだろう。そういった感慨がどっと溢れてきた。この感慨は一生忘れることがないだろう。








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2004年11月25日

思い出に残った海外旅行は?

今回、gooのテーマサロンの題材に沿って書いてみようと思う。6年前の、ロンドンに行ったのがはじめての海外旅行。ここでは、印象に残っていることを2つ書きたい。いずれも、ピカデリー・サーカスで遭遇した。タイトスカートをはいたブロンド、ロングヘアーの女性が風を切るように颯爽と歩いている。その上着として羽織っているのは、紛れもなく着物。浴衣ではない。それをまさしくジャケットとして着こなしている。いままで着物を見て「キレイ」と感じたことはあったが、「カッコイイ」と感じたのはあの時の初めて。いまだに強い印象として焼きついている。
もう一つは、同じくピカデリー・サーカスで。一人の老婆が小さな花を手に「恵まれない人のために寄付を」などど近寄よってきた。複雑な英語表現がわからなかった私は、身振り手振りでコミュニケーション。すると、その付近の通行者がポンっとお金をその老婆に・・。「なるほど、赤い羽根の募金のようなものか・・・」と財布からお金を出す。すると老婆は金額が少ないようなジェスチャーを。渋々少し金額を増やして渡してやる。するとそのお礼にと、手に持っていた花をプレゼント。老婆と別れたあと冷静になる。「クッソー!あの通行者もグルでサクラか〜。」と歯噛みしたが、あとの祭り・・。








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2004年11月21日

旅を意識させる作品は?

皆さんは、「旅」を意識させる作品を挙げて。小説でも、映画でも、漫画でも、テレビでも、何でもいいから。といわれて、どんな作品を挙げるだろうか?自分でも考えてみた。すると、必ず、上位に入ってくるのが、「銀河鉄道999」。漫画シリーズかTVアニメシリーズのほう。小中学生の頃に見ていた。しかし、つい数年前、三十代半ばを過ぎた頃に読んでみると、子供の頃には感じられなかった余韻というか味わいがじわじわっと押し寄せ、「松本零士は、なんてスゴイ作品を描いてたんだぁ。」と思った記憶がある。どういったらいいか。一言で表現すると「銀河鉄道999はブルースだ!」という合ってるかどうか支離滅裂な表現だが、これ以上にピッタリする言葉が出てこない。映画版のゴダイゴが歌う「さあ、行くんだ〜 その顔を上げて〜 」という明るさが前面にでたものではなく、TVアニメ版の主題曲「汽車は〜、闇を抜けて〜、」という一種の暗さ・ブルース感なのだ。(主題曲はブルースではないが・・・)とにかく、子供ころ銀河鉄道999に触れた三十代・四十代の方には、もう一度、この作品に触れてみて欲しい。今の年齢の到達したからこそわかる、味わい深さを発見できるだろう。


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2004年11月15日

地図と記憶

ロンドン地下鉄ジュビリー線セント・ジョンズ・ウッド駅の近くに何があるか?と尋ねられて答えられる人はどのぐらいいるだろうか?私は、ひとめでもここを見たくて新婚旅行の行き先をロンドンに決めた。答えはアビイ・ロード・スタジオ。ビートルズのレコーディングスタジオとして有名だ。ビートルズファンにとっては神聖な地。また、ファンでなかったとしても、ビートルズの4人が、このスタジオの前の横断歩道を渡っている、アルバム「アビイ・ロード」のジャケット写真はご覧になったことがある人もいらっしゃるだろう。
ロンドンの地図を眺めていて、その当時の記憶が蘇ってきた。
まず、アビイ・ロードという通りはどこにあるのか?ということから調べたこと。(旅行ガイドなどには載っていなかったので・・・)
「宿泊地であるピカデリー・サーカス付近のホテルから、どうやっていったらいいのか?」
「ボンドストリート駅まで歩き、そこから地下鉄に乗って、セント・ジョンズ・ウッド駅にて下車すればいいのか?」ということまで。
それ以外にも、様々な事柄が思い出されてくる。
時に地図は、記憶を呼び起こすスイッチボタンになるものだ。







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