時代物や歴史小説でお馴染みの歴史上の人物や著名人の「ゆかりの地」を訪ねる旅。そのガイドブック的サイトとして・・・。


◆「ゆかりの地」・・・「歴史上の人物」」「映画スター」など著名人ゆかりの地の「所在・交通アクセス」を。※「都道府県で選ぶ」ことも出来ます。
◆「ゆかりの食」・・・歴史上の人物や著名人が好んだとされる食べ物を。
◆コラム・・・「思いの外」「旅・美味いモン」「本・心に残る言葉」他

2010年03月03日

桂小五郎(木戸孝允)ゆかりの地

◆長州藩邸 (京都市中京区河原町御池)京阪三条徒歩5分。阪急河原町徒歩15分。
その地には現在は京都ホテルが立っており、桂小五郎の像が立っています。
桂小五郎像 長州藩邸.jpg
◆幾松。桂小五郎が愛人幾松とすんでいたところ。新選組が乗り込んできた際、幾松が気丈な対応をして桂小五郎を匿って逃がした話は有名。京都ホテル木屋町はさんで向い。
幾松.jpg
◆三条大橋の下(現在の二条大橋)。禁門の変(蛤御門の変)で敗走する時期、京都市乞食の姿に身を変え潜伏。
◆兵庫県出石町。(京 脱出後の潜伏先) 現在出石そばや「本家よしむら」の箇所が、潜伏時の住居跡。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに木戸孝允(桂小五郎)の墓があります。妻、幾松の墓とならんでいます。他に坂本龍馬、中岡慎太郎、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分
◆翠紅館跡 <京都市東山区高台寺南門通り>
京都連山護国神社へと向かう「維新の道」の途中にある。
土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞、桂小五郎、久留米藩の真木和泉ら、各藩の代表者らが、攘夷の具体的方法を検討した世に「翠紅館会議」と呼ばれた会合が行われた場所。すぐそばに高台寺。現在は老舗料亭「京大和


翠紅館.jpg



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2006年03月17日

織田信長ゆかりの地

◆安土城址(滋賀県蒲生郡安土町:周辺地図) JR東海道本線(JR琵琶湖線)「安土駅」徒歩20分
次も必ず訪れよう⇒滋賀県立安土城考古博物館安土城天守信長の城、安土城城郭資料館
◆本能寺址。「本能寺の変」当時の場所。現在は養護老人ホームが建っており、本能寺の歴史を紹介した石碑と、「此付近本能寺址」標記の石柱がある。(京都市中京区元本能寺南町:周辺地図) 阪急烏丸駅 京都地下鉄四条駅徒歩10分。阪急大宮駅徒歩8分。
寺石碑.jpg続きを読む
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2006年03月13日

坂本龍馬ゆかりの地

坂本龍馬生誕地の碑 (高知県高知市上町1-7-34:周辺地図)現在は上町病院となっている。
◆千葉道場。(江戸 神田 お玉が池 桶町)現在は地番が無いようで、東京駅南口の八重洲ブックセンターの北側あたり、鍛冶橋と日本橋の間、京橋のすぐ北側エリアらしい。(周辺地図
参考ホームページ:www.peanuts.gr.jp/~smitimko/Ryoma/
◆寺田屋。(京都市伏見区南浜町263:周辺地図)京阪電鉄「中書島」徒歩5分。京阪電鉄「伏見桃山」徒歩10分。近鉄「桃山御陵前」徒歩10分
→サイト内関連記事あり<京都・伏見桃山界隈を歩く>

洛て寺田屋.jpg
◆近江屋跡。(京都市中京区河原町通蛸薬師下る京阪交通社前:周辺地図)坂本龍馬・
中岡慎太郎遭難之地と彫られた古い石柱がある。阪急河原町駅より徒歩スグ。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに龍馬の墓があります。他に中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分。
→サイト内に関連記事あり<維新の志士達の眠る地(京都霊山護国神社>
◆神戸海軍操練所(神戸市中央区新港町:周辺地図)。三宮駅より徒歩10分。日本に欧米に対抗できる海軍をつくる足がかりを作ろうと、勝海舟が1863年(文久3年)に提案し設立。海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねた。 坂本龍馬、陸奥宗光などが運営に携わるとともに、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残す。現在は、錨(いかり)の形をした記念碑が建っています。
◆亀山社中跡。(長崎市伊良林2丁目:周辺地図)。当時のままの建物の中には、資料展示などもあるようです。この亀山社中が海援隊の中心となり、明治政府発足以降は、政府により岩崎弥太郎に譲り渡す形で三菱商事の前身となっています。(※残念ながら2006年3月18日に閉館となります。)
グラバー邸。長崎県長崎市南山手。文久3年(1863)に建てられた日本で最も古い木造洋風建築物。江戸末期、長州藩は幕府から睨まれ、武器を購入が不可能だったため龍馬が亀山社中を通して薩摩藩名義で武器を購入し長州藩に横流しする方法を思いつき、最新式のエミュー銃4300丁と旧式銃3000丁をこのグラバー商会から購入した。この銃が第二次長州征伐である四境戦争などで大活躍し長州藩を勝利に導き明治維新を成し遂げる大きな原動力となる。
◆塩浸温泉 (鹿児島県姶良郡牧園町宿窪田:周辺地図) 日本で一番最初に新婚旅行をした人しても知られる龍馬が、妻のおりょうとともに訪れた温泉。龍馬とおりょうの銅像が建っている。
◆霧島 新婚旅行の地。

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2006年02月24日

新選組ゆかりの地

八木邸(京都市中京区壬生椰ノ宮町24:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。近藤勇らが壬生浪士組として結成後より、西本願寺に移るまで使用。
旧前川邸(京都市中京区壬生賀陽御所町49:周辺地図)阪急京都線「大宮駅」より壬生寺を目指して歩いて徒歩6,7分)新選組壬生屯所跡。八木邸とともに京都壬生屯所となった。近藤勇、沖田総司、土方歳三ら試衛館一派が宿泊。
前川邸.jpg
◆壬生寺
近藤勇胸像.jpg
◆西本願寺屯所跡(京都市下京区堀川通花屋町下る:周辺地図西本願寺太鼓楼付近。JR京都駅より徒歩10分。1865年、壬生屯所が手狭になった後、使用。
※なお現在は姫路市の亀山本徳寺(兵庫県姫路市亀山324:周辺地図)に移設されています。山陽電鉄亀山駅下車スグ
◆不動堂村屯所跡(京都市下京区)JR京都駅より徒歩5分。現在はリーガロイヤルホテルが建つ。1867年、西本願寺から移転後、新選組最後の屯所。以下は、その地にある碑。近藤勇の歌が刻まれている。
(「事あらば われも都の村人となりて やすめん皇御心 / 近藤勇」)
リーガロイヤル近藤勇.jpg
下の画像はリーガロイヤルの道路を挟んで建つAPAホテルの裏手の道祖神社のもの(幻の屯所)まぼろしの屯所.jpg







当サイト管理人による関連サイト
万次郎会ピース君の・・・脱出!不快・・・はいチーズ舌鼓
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2006年02月17日

大村益次郎ゆかりの地

◆大村益次郎寓居跡(大阪市西区江戸堀2丁目) 地下鉄四ツ橋線肥後橋徒歩5分
現在は江戸堀フコク生命ビルが建っているが、そのビルの前に石柱が建っている(写真)石柱脇に説明書には下記のように記されている。

「大村益次郎寓居跡。大村益次郎は、儒学、蘭学、医学、西洋兵学に通じ、幕末から明治維新にかけて日本の近代化に非凡な才能を発揮した。嘉永二年(1849年)から、この地の倉敷屋作衛門の座敷に住みながら、緒方洪庵の適塾で医学を学び、後に明治新政府の兵部大輔(兵部省次官)となり、近代国家の制定に貢献した。」
image/yukarinochi-2004-11-16T18:55:17-1.jpg

◆大村益次郎遭難之碑(京都市中京区木屋町)
桂小五郎の寓居であった幾松を背にした高瀬川べりにあります。その隣にある碑は佐久間象山遭難之碑です。



◆兵部大輔大村益次郎卿殉難報國之碑(大阪市中央区法円坂2丁目) 地下鉄谷町線「谷町四丁目」「谷町六丁目」のいずれかの駅より徒歩5分。京都で襲われ、十分な治療ができない京都から、大阪に移送されたが、治療の甲斐なく死亡した。

◆適塾(大阪市中央区北浜3丁目)地下鉄・京阪「淀屋橋駅」すぐ
この塾で、緒方洪庵に師事する。

◆靖国神社(東京都千代田区九段北3丁目) 周辺地図
大村益次郎の発案で建てられた東京招魂社が靖国神社の前身。大村益次郎の銅像あり。

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2005年12月27日

中岡慎太郎ゆかりの地

◆生家。(高知県安芸郡北川村柏木140:周辺地図
参考ホームページ:北川村観光ページ
◆近江屋跡。(京都市中京区河原町通蛸薬師下る京阪交通社前:周辺地図)坂本龍馬・中岡慎太郎遭難之地と彫られた古い石柱がある。阪急電車 河原町駅より徒歩数分。
◆京都霊山護国神社 <京都市東山区清閑寺霊山町1:周辺地図> ここに中岡慎太郎の墓があります。坂本龍馬の墓の隣にあります。他に桂小五郎(木戸孝允)、久坂玄瑞なども眠っています。京阪電車「四条」駅より徒歩25分




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2005年12月26日

源義経ゆかりの地

◆牛若(京都市北区紫竹付近:周辺地図)。牛若丸(源義経)が幼少期を過ごした地の地名。牛若丸誕生の井戸や母親である常盤御前の名残がのこるものも点在している。大徳寺からも近いので、大徳寺を観光のついでに足を伸ばすには丁度良かもしれない。
◆鞍馬寺(京都市左京区鞍馬本町:周辺地図) 叡山電鉄鞍馬線「鞍馬」。叡山電鉄には京阪電車「出町柳」で乗り換え。
参考ホームページ:www.hi-ho.ne.jp/kyoto/yositune.html
◆貴船神社 (京都市左京区鞍馬貴船町:周辺地図)叡山電鉄「貴船口」にて京都バス貴船行に乗り換え「貴船」で下車。
牛若丸が打倒平家の祈願成就のために参詣したと言われている。
貴船神社の公式サイト
◆源義経宿泊の館「白木屋」跡 (滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡:
周辺地図
◆五条大橋。弁慶と戦ったことで有名。当時の五条大橋は現在よりもっと北側、今の松原橋のところにあったらしい。周辺地図 京阪電車「五条」より徒歩すぐ。
◆神泉苑 (京都市中京区門前町:周辺地図) 地下鉄東西線「二条城前」徒歩スグ。
義経と静御前が出会った地。
◆宇治川先陣の碑 (京都府宇治市宇治:周辺地図)宇治川の中洲である橘島内に京阪電車宇治線「宇治」徒歩5分 JR奈良線「宇治」徒歩5分宇治川の中洲である橘島内に宇治川の中洲である橘島内に、義経の初陣となった宇治川の戦いの碑「宇治川先陣の碑」が建っている。
◆一の谷合戦古戦場 山陽電車「須磨浦公園」徒歩3分
◆鉄拐山 (兵庫県神戸市須磨区西須磨:周辺地図
「一の谷の合戦・鵯越の逆(坂)落とし」の場所との説がある山。この山の東南斜面であったとする説(一の谷説)が残っています。
◆鵯越 (神戸市北区:周辺地図
「一の谷の合戦・鵯越の逆(坂)落とし」の場所との説がある場。(鵯越説)
◆須磨寺(須磨寺公式サイト
(神戸市須磨区須磨寺町:周辺地図) 山陽電車「須磨寺」徒歩5分
一の谷の合戦後、義経が平敦盛の首を確認した時に腰掛けたと伝えられる「義経腰掛松」があり。
◆八軒家船着場の跡 (大阪市中央区天満橋京町:周辺地図)京阪電車「天満橋」徒歩スグ。駅南側の永田屋昆布本店付近 この付近は古来より、交通の要所であり、「渡辺の津」と呼ばれた。ここから、義経軍150騎が、暴風の中、屋島の平家軍を攻めるため船を出したと言われている。現在、「八軒家船着場の跡」の碑が建っている。 
◆壇ノ浦(源氏・平氏の最後の戦いの場)
赤間神宮の水天門より望むことができます。赤間神宮には、この合戦に敗れ、わずか8歳で関門海峡に入水された安徳天皇が祀られています。(山口県下関市阿弥陀寺町4-1:
周辺地図 自動車:中国道下関ICより火の山方面へ約10分 電車:JR下関駅東口よりバス10分で、バス亭「赤間神宮」からすぐ)
「源平合戦図」や「平家物語 流布本」などの貴重な資料が展示。
◆安宅関(あたかのせき)。安宅ビューテラスに安宅関跡の石碑あり。(石川県小松市安宅町ヨ132:周辺地図  北陸道小松ICより安宅の関方面へ5分)
源頼朝に追われた義経がこの関を通る際、関守の富樫の厳しい尋問にあう。この危機をのりきるため弁慶が主君である義経を叩きつける姿に感動した富樫が通行を許可したとされる。この様子を題材にしたのが歌舞伎の人気演目「勧進帳」

「義経」に関する出版物・映像作品



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楠木正成 ゆかりの地

■湊川神社(神戸市中央区多聞通り3丁目:周辺地図)神戸高速鉄道「高速神戸」すぐ。JR「神戸」北へ徒歩7分。
楠木正成墓碑(国指定記念物・国指定史跡)あり。徳川光圀(水戸黄門)によって建てられた。 「嗚呼忠臣楠子之墓(ああちゅうしんなんしのはか)」と刻まれている。また、最奥境内西北側に「楠木正成戦没(せんぼつ)地」の碑あり。宝物殿には大楠公着用伝承の段威胴丸(重文)が展示されている。
※宝物殿は有料・木曜休館であるので注意。


■湊川公園(神戸市兵庫区:周辺地図)神戸市営地下鉄「湊川公園」すぐ。神戸高速鉄道「新開地」徒歩3分。
この一帯は湊川の戦いがあった辺りであり、大楠公像あり。

■会下山公園(神戸市兵庫区会下山町:周辺地図)神戸高速鉄道「大開」「新開地」より徒歩10分。神戸市営地下鉄「湊川公園」徒歩7分、「上沢」徒歩5分。JR「兵庫」徒歩15分。
湊川の戦いにおける楠木軍陣地。日露戦争を勝利に導いた東郷平八郎元帥直筆の「大楠公湊川陣之遺蹟」と刻まれた記念碑あり。

■千早城跡(大阪府南河内郡千早赤阪村千早:周辺地図)近鉄「富田林」より金剛バスか近鉄・南海「河内長野」より南海バスにて「千早城址」下車。

正成が鎌倉勢相手に100日間籠城した城。この間に、新田義貞らが鎌倉へ攻め込み、鎌倉幕府は滅亡。
この千早城から登山道を少し登ったところに「千早城跡五輪塔」があり、地図では楠正儀墓となっている。地元では首塚さんと呼ばれ、正成の供養塔と考えられているらしい。(※正成の首は一度は六条河原でさらし首にされるがその後、尊氏により河内の遺族のもとに届けられているとのこと。)

■上赤坂城跡、下赤坂城跡(大阪府南河内郡千早赤阪村:周辺地図)地図では上赤坂城跡を楠木城跡と表記。近鉄「富田林」より金剛バス「赤坂中学前」下車、すぐの中学校の敷地が下赤坂城跡、そこから東方に上赤坂城跡。

■皇居外苑(東京都千代田区皇居外苑:周辺地図)営団地下鉄千代田線二重橋前より徒歩。
楠正成像あり。皇室に対する忠臣であるとして、明治の時期、住友家当主が宮内省(現、宮内庁)に献納。銅像の制作には高村光雲(「智恵子抄」などで知られる詩人、高村光太郎の父)などがたずさわる。




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2005年08月22日

維新の志士たちの眠る地(京都霊山護国神社)

京都霊山護国神社。坂本龍馬の墓を護っているとして有名だが、龍馬だけでなく、ここには数多くの維新の志士たちが眠っている。中岡慎太郎、桂小五郎(木戸孝允)、蛤御門の変(禁門の変)で散った久坂玄瑞(儀助)、来島又兵衛といった長州藩の志士たち。その護国神社まで歩いてみよう。
京阪電車「四条」駅を下車し、地上に出るとそこは、四条通りと川端通の交差点である。阪急電車「河原町」駅からも徒歩3分ほどとそう離れていない。
その四条川端の交差点に立ち、四条大橋を背にし、南座を右手に見ながらまっすぐ進んでいく。京漬物「西利」を過ぎ、宇治茶の「祇園辻利」を前を通過。土日ならば、その辻利の前で、長い列に出食わすだろう。辻利がやっている喫茶「茶寮都路里」で、「特選都路里パフェ」を食べるために並んでいる観光客たちの列だ。ほどなく四条花見の交差点である。北東角にあぶらとり紙の「よーじや」、南東角に赤い土塀のお茶屋「一力(いちりき)」なので、この交差点はすぐに判る。このまま、まっすぐ進むと八坂神社の正面に突き当たるが、ここは、祇園の雰囲気を味わうために、右に曲がってみよう。花見小路通りだ。歴史的景観地区に指定されており、情緒ある風景に「京都に来たなあ。」という実感がわいてくるだろう。
3,4分歩くと花見小路通りは、日本最古の禅寺「建仁寺」の北門に突き当たる。京都に訪れたときの見どころの一つだ。この建仁寺北門の前で道が左に折れているので、道なりに左に折れて進むことにする。途中、安井金毘羅宮への入り口につながる小道があったりするが、信号のある箇所までくれば、ここは東大路通りだ。東大路通りは南北に走っている。この東大路通りの交差点から右に進路をとり、一つめの信号のある交差点にくれば、左を見てみよう。石造りの大きな鳥居が目印だ。この鳥居をくぐり坂を登って歩いていくと突き当たりが冒頭の京都霊山護国神社だ。護国神社に辿りつくまでにも、高台寺円徳院と言った豊臣秀吉や妻「ねね(北政所)」といったゆかりの地がある。この辺りはちょっと進路を変えるだけで、八坂の塔も清水寺もすぐのところである。そのため、観光客が気楽に立ち寄れるお店も多く、客待ちの人力車なども数台列を作って待機している。格好のデートコースでもあるためか、歴史ファンやウォーキング愛好家達だけでなく、若いカップルが非常に多い。


人力ヤ.jpg
話がそれてしまった。元に戻って護国神社を目指そう。高台寺を過ぎたぐらいから、その道は「維新の道」と呼んでいるようだ。その道、右側に翠紅館跡がある。そこに書かれている京都市による説明文を読んでみる。土佐藩の武市半平太、長州藩の井上聞多、久坂玄瑞、桂小五郎、久留米藩の真木和泉ら、各藩の代表者らが、攘夷の具体的方法を検討した世に「翠紅館会議」と呼ばれた会合が行われた場所であることが解説されていた。もう、そこから2,3分進むと目的地の京都霊山護国神社である。護国神社に入ると、ここに坂本龍馬の墓があるということはすぐに判る。コイン式の改札機に300円を入れて進めばようやく龍馬ら維新の志士たちが眠るお墓があるエリアである。


龍馬 慎太郎.jpg
龍馬の墓はともに暗殺された中岡慎太郎の墓と並んでいる。左側が龍馬、右側が慎太郎だ。お参りされる方も多いのだろう。墓前にはまだ新しいお酒、食べ物がお供えされており、お線香からはゆっくりと煙が立ち上っていた。この龍馬、慎太郎の墓所から振り返ると京都を一望することができる。眼下には八坂の塔。二人はここで静かに眠っているのだろう。
ここから少しあがったところが、長州藩の志士たちの眠る墓所であり、ここに蛤御門の変で散った久坂儀助(久坂玄瑞)、来島又兵衛などの墓があり、そこからまた進むと、桂小五郎(木戸孝允)の墓である。その隣には妻、幾松の墓もあり、小五郎と幾松のロマンスについても触れることができる。


画像小五郎幾松墓所.jpg





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2005年03月08日

勝海舟ゆかりの地

◆勝海舟生誕地(男谷邸)跡 (東京都墨田区両国4丁目25番・両国公園:周辺地図)JR「両国」徒歩7分
現在、勝海舟生誕の地の碑が建っています。

◆神戸海軍操練所(神戸市中央区新港町:周辺地図)。三宮駅より徒歩10分。日本に欧米に対抗できる海軍をつくる足がかりを作ろうと、勝海舟が1863年(文久3年)に提案し設立。海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねた。 坂本龍馬、陸奥宗光などが運営に携わるとともに、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残す。現在は、錨(いかり)の形をした記念碑が建っています。

勝海舟に関する書籍・映像作品


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2005年03月03日

豊臣秀吉ゆかりの地

◆広徳寺 (兵庫県尼崎市寺町:周辺地図) 阪神電車「尼崎」徒歩3分
本能寺で織田信長が明智光秀に討たれたことを知った秀吉が、毛利氏と戦っていた備中高松城(今の岡山県)から京へ駆け戻る途上、ここ広徳寺で髪を剃り僧に化けて台所で味噌をすっていた僧にまぎれて明智方からの追手から逃れたという伝説が残っている。そのときのすり鉢とすりこぎが広徳寺に伝わっているという。

平清盛ゆかりの地

◆六波羅蜜寺 (京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル2丁目轆轤町:周辺地図) 京阪電車「五条」より徒歩5分
有名な平清盛像があります。この付近は平家一門の邸宅があった場所。
六波羅蜜寺の参考サイト
◆能福寺 (兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町:周辺地図)神戸高速鉄道「大開」徒歩15分
清盛の墓「平相国廟」が残っている。(清盛が剃髪し、浄海入道となったと伝えられる寺)
能福寺が詳しいサイト
◆薬仙寺 (兵庫県神戸市兵庫区今出在家町4-1-14:周辺地図) 神戸高速鉄道「大開」徒歩約25分
清盛が、反平家の動きを画策した後白河法皇を幽閉したとされる場。「萱の御所跡碑」あり。
薬仙寺の参考サイト

平清盛に関する出版物・映像作品

2005年02月08日

小野小町ゆかりの地

随心院 (京都市山科区小野御霊町35:周辺地図) 地下鉄東西線「小野」下車徒歩5分 小町へのラブレターを埋めたとされる文塚や、小町が化粧の時に使う水を汲んだ井戸などあり。


なお、小町ゆかりの地については、次のサイトが丁寧にまとまっているので、こちらのほうを参考にされたい。
小野小町ゆかりの地

2005年01月25日

真田幸村ゆかりの地

◆安居神社 (大阪市天王寺区逢坂1−3:周辺地図 )大阪市営地下鉄「恵美須町」徒歩5分 真田幸村戦死の地。

2005年01月11日

安倍清明ゆかりの地

◆清明神社。京都市上京区清明町地下鉄今出川徒歩10分。市バス9・12系統一条戻橋スグ。陰陽師として活躍した住居跡に建立。
◆一条戻橋。清明神社よりスグ。
伝説では、晴明の父の保名が殺害された場所であり、晴明が呪法を駆使して保名を蘇生させたとする場所。「あの世」と「この世」をつなぐと言われている。晴明は二人の式神(しきがみ)を、この橋の下に隠していたと言われている。
◆清明墓所。京都市右京区嵯峨角倉町。京福電鉄「嵯峨」「嵐山」徒歩5分。長慶天皇嵯峨東陵の裏の桂川より、細い路地裏に所在。鳥居で囲われ、没後970年記念の石碑と清明の墓があります。続きを読む

2005年01月07日

徳川吉宗ゆかりの地

◆御誕生屋敷跡(吹上邸) (和歌山市吹上二丁目)  吉宗誕生の地の碑がある。
◆伝法屋敷跡 (和歌山市湊紺屋町) 吉宗子供の頃の屋敷跡(吉宗拝領屋敷)続きを読む

2004年12月29日

徳川慶喜ゆかりの地

二条城 (京都市中京区二条通堀川西入二条城町:周辺地図) ここで徳川慶喜は大政奉還を行った。続きを読む

徳川光圀(水戸黄門)ゆかりの地

◆馬頭院 (栃木県那須郡馬頭町馬頭:周辺地図) 国道293号馬頭町市街地を黒羽方面へ。徳川光圀が、ここの枝垂栗(しだれぐり)(天然記念物)を徳川光圀が植樹した。続きを読む

2004年12月28日

福沢諭吉ゆかりの地

◆中津藩蔵屋敷跡 (大阪市福島区福島1−1:周辺地図)JR神戸線「福島」 JR東西線「新福島」 阪神電鉄「福島」徒歩5分程度 福沢諭吉誕生地の碑が立つ。

2004年12月25日

陸奥宗光ゆかりの地

◆生誕の地 (和歌山市小松原5丁目の交差点に生誕碑が立っている:周辺地図
◆神戸海軍操練所(神戸市中央区新港町:周辺地図)。三宮駅より徒歩10分。日本に欧米に対抗できる海軍をつくる足がかりを作ろうと、勝海舟が1863年(文久3年)に提案し設立。海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねた。 坂本龍馬、陸奥宗光などが運営に携わるとともに、日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残す。現在は、錨(いかり)の形をした記念碑が建っています。
◆亀山社中。(長崎市伊良林2丁目:周辺地図)。当時のままの建物の中には、資料展示などもあるようです。この亀山社中が海援隊の中心となり、明治政府発足以降は、政府により岩崎弥太郎に譲り渡す形で三菱商事の前身となっています。
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